『京に着ける夕』、『文鳥』、『夢十夜』
全集の収載順とは異なるが、年表に従うと『坑夫』と『三四郎』の間にこれらの作品が書かれているので、ちょっと寄り道をした。 どれも短いし、言葉遣いも平易なので、読みやすい。(また言ってる)
読みやすい即ち分りやすい、ではない。けれど、それは気にならない。作者も、これは写生だから無理に解釈しなくて良いよ、と言っている感じがする。
『夢十夜』も、うんうん唸って創り出した幻想ではなくて、実際に見た夢を文章に写し取ったような作品だ。それは寝ている間に見た夢ではなかったかも知れない、意図して見た白日夢だったかも知れないが、夢を見る心の動きを阻害することなく、夢が状況と行為と言葉を生成するのに任せて、それを写生したもののように見える。