穴掘りに創造性が不要であるのは君が創造的じゃないからじゃないか?
肉体的モチベーションがゴールドだとする僕の考え方によるとこうではない。まず体が素晴らしくなり、穴掘りにとりかかる。穴の彫り方にも創造的な方法があると分かる。詩的な穴の彫り方が分かる。筋肉運動をレビューしながら作業する。分解しワークフローが、定置管理が、役に立たないか考える。素材に変質的にレビューする。土の湿り気、素材、石の混入を考える。粉の結合について考える。重力を考える。穴掘りに創造性が不要であるのは君が創造的じゃないからじゃないか?ということだと思う。 歩くこと。そのはじまりを思い描こう。筋肉に力が漲ってゆく。一本の脚は、柱になって体を大地と空の間に浮かべている。もう一本の脚が、振り子のように背後から振り出されてくる。踵が大地を掴む。全体重が転がるようにつま先へ繰り出されてゆく。親指が後ろへ蹴り上げると、あやういバランスを保ちながら重心が移動してゆく。そして脚は互いに役割を交代する。一歩にはじまり、さらに一歩、そしてさらに一歩と、打楽器を叩きはじめるように積み重なってゆく歩行のリズム。歩行はたやすくわたしたちを誘い出す。宗教、哲学、風景への眼差し、都市の政治、人体の解剖学、アレゴリー、そして癒やしがたく傷ついた心の奥へ。世のなかにこれほどありふれていて、これほど謎めいたものがあるだろうか。 いい機会なので、値段が高いと言う理由だけで長らく読まずにいた”スケートボーディング、空間、都市―身体と建築”を買って読む。典型的な、書いてありそうなことが全部書いてある(いい意味で、途中で読むのをやめても問題がないとすら思えた)本であった。人を住まわせて金を稼ぐための市営住宅プロジェクトが生んだ退屈な建築物は、スケボーを持ってすればクリエイティブの対象である。要するに”おもんないアニメなんてない、おもんないのはおまえだけ”(言い出したのが誰かは知らん)、”目に映る全てのものがメッセージ”の精神である。