『恋文の技術』
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間宮少年へ
でも、書きにくいものを「どうすればかけるだろう?」とかんがえるのはいいことです。そうやって、だんだんいろいろなことが書けるようになるからです。
だから、きみはじっとがまんの子でいる。これはすごくえらい。 むかし、アイダホ州立大学のコヒブミー先生がいいました。 「無駄になったラブレターの数だけ人は成長する」 ちょっときくと、これは名言のようにきこえる。先生はいろいろな名言を知っていますから、この名言で君をなぐさめることもできるわけです。でも先生は思うのですが、そんなことで成長するよりも、好きな人に好きといってもらうほうがうれしい。そんな名言はうわっつらだけのなぐさめです。コヒブミー教授の気持ちもわかるけど、でもそんなの、本当はいやですね。 森見登美彦先生へ
憶えておいででしょうか。春合宿先の野外活動センターにて、森見さんが魂の保湿のために隠し持っていたグラビア写真集を失敬し、関係者各位へ回覧した、あの守田一郎ですよ。森見さんが部室のノートに書き散らした文章を読み耽っては、おのれの文才を無用にねじ曲げていた守田一郎であります。お懐かしうございます。守田は、森見さんから「懐かしい」というお言葉が聞きとうございます。 俺は京都から遠く離れて暮らしています。
俺も実験が思うように進まず、森見さんの長いお手紙を拝読したうえでお返事をしたためるのが苦痛になってきました。膨大な手紙を書き合って、たがいの時間を食いつぶして自滅する――これでは、あの部室の公用ノートにたがいの恥を競って書き合い、わずかな賞賛とひきかえに大事なものを失った部活時代の繰り返しではないですか。森見さんの薫陶を受け、言葉を弄んで他人を煙に巻いて面白がっているうちに、気がつけば己自身も煙に巻かれて、人生における肝心なことが何一つ見えなくなってしまったのです。これ、すべて森見さんに責任があると思うのですが如何。
初恋の味のする飲み物とは何か。 しょうもないクイズに付き合っているほど俺は暇ではございません。そんなロマンティックな液体ばかり舐めているから、机上の空論を弄ぶしかない軟弱な人間になってしまうのです。もっとリアリティのある飲み物を飲んで、初恋の味なんぞ忘れてしまうべきだ。谷口さんが愛飲している謎の精力増強剤を送りましょうか?
大塚様へ
この期に及んで、ようやく私の誇りが傷つきました。 だからこそ、せめて最低限の成果だけは出さねばならぬ。「こいつは駄目なやつだが、やるべきことは一応やった。でも駄目なやつだった」と、谷口さんに思い知らせねばならぬ。
ご満足ですか。よくもまあ、他人の繊細かつマシマロ的にやわらかい領域に土足で踏み込めますね。「公の場で恋文を渡すような、痛々しい破廉恥野郎だけには決してなるな。周囲からは軽蔑されるし、第一、勝算がない」という祖父の遺言がある。祖父は正しい。どこに勝算がある。守田一郎が無益な突撃をして自滅するのを高みの見物ですか。そこで呑む酒はうまかろうということですか。 でも、もういい。分かりました。 伊吹さんとの間には、先日とある事件があって、すでに勝算はゼロなのです。恥を忍べばよいだけです。要求を受け容れますから、お許しください。 世界を飛び交う手紙の中で、もっとも歪んだ力を持つ手紙はどんなものかお分かりですか? 恋文と脅迫状であります。大塚さんには相手を脅迫する才能がある。私と手を組んで、恋文代筆業+脅迫状製造の多角的経営に乗り出しませんか? 世界を我らの手に握ることも可能です。筆一本で世界分割しましょう。
続、森見先生へ
たしかに膨大な量の無益な手紙を書く力はあります。無益なことにかぎれば悪知恵も働く(大塚さんに敗北したのは大塚さんが悪魔だからです)。長年にわたり、おっぱいに関する思索も重ねてきた。こんな俺でも、一部の男子学生たちからは評価された時代もあったのです。けれども、彼らの評価を糧にして生き抜くには、人生はあまりにも長すぎる。さすがの俺も「おっぱい思想家」として生きていく自信はない。いつの日か俺が愛する人に結婚を申し込むとして、相手のお父さんから「おっぱい思想家に娘はやれん」と言われたら、どうするのです。そんなのは嫌だ。
褒めようと思えば、いくらでも褒められます。でもあれもこれもと褒めていると、褒めれば褒めるほど、なんだか彼女がバラバラになっていく。肝心なものがこぼれ落ちる。彼女の横顔であったり、短い黒髪であったり、えくぼであったり、耳たぶであったり、時折見せる無表情であったり、それらを全部足して彼女に惚れたわけではない。俺は彼女の耳たぶが可愛いから惚れたのではない。惚れた彼女の耳たぶだから、可愛く見えるのであります。 伊吹さんへ
幾度か、伊吹さんに手紙を書こうとはしたのです。伊吹さんは就職したばかりなのだから、何か「頑張れ」と励ます手紙を書こうと思った。でもよくよく考えると、僕がそんなことを言わなくても、伊吹さんは頑張る人である。大学時代、「もう少し頑張らないで欲しい」と思ったほどである(こっちの肩身が狭くなるから)。しかし「頑張るな」とも言い難い。なぜなら、我々は頑張らねばならぬからである。
僕はたくさん手紙を書き、ずいぶん考察を重ねた。どういう手紙が良い手紙か。そうして、風船に結ばれて空に浮かぶ手紙こそ、究極の手紙だと思うようになりました。伝えなければいけない用件なんか何も書いてない。ただなんとなく、相手とつながりたがってる言葉だけが、ポツンと空に浮かんでる。この世で一番美しい手紙というのは、そういうものではなかろうかと考えたのです。だから、我々はもっとどうでもいい、なんでもない手紙をたくさん書くべきである。さすれば世界に平和が訪れるであろう。紳士淑女よ、意味もなく、手紙を書け!……いいこと言ってますか?
「我々はもっとどうでもいい、なんでもない日記をたくさん書くべきである。」