『令和日本をデザインする』
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https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166615117
著者:落合陽一 , 先崎彰容
出版社:文藝春秋
目次
はじめに──即今の道具 落合陽一
第一章 アイデンティティを失った日本
今、「知識人」は存在しうるか
数字が「第一の価値基準」に
ロシアや中国がやっている「物語」づくり
三島由紀夫の言う「からっぽな国」
アメリカを三島の人間観を参照して読み解く
アメリカ独特の宗教的風景とジョブズ
あるべき国家像のイメージが欠けている
日本を停滞させている「玉虫色の結論」
「手順が八割」だから生産性が上がらない
ルールがコンテンツに勝る
「税、社会保障、デジタルの一体化」が一丁目一番地
コンピュータ文化を思想的に接続する
七〇年万博以後の文化の復習を
日本には「ぬか漬けになったピーターパン」がある
あたらしい民主主義はあたらしくない
デジタルネイチャーで人間はどうなる?
第二章 日本の「無思想」が強みになる 
「プラットフォーマー帝国主義」
私たちがスマホを手放せない理由
人間内部にある混沌をどう手なずけるか
「デジタル小作人」の道を自ら選んだ日本
今後十年から二十年が勝負
国産が勝てるように依怙贔屓を
日本も世界トップの「プラットフォーム」を持っている
過度な平等主義の落とし穴
難局を何度も乗り切ってきた「スタートアップ日本」
自然主義文学もSNSもドーパミンカルチャー
人間のいちばん弱いところをついたビジネス
ロマンは悪さしかしない
アイデンティティは確立しなくてもいい
AIと人間はどう違う?
民藝と宗教なきデジタル社会
アマゾンでポチるのも手仕事
何かに接続していないとダメ
SNS時代の論客は話がうまいだけ
日本浪曼派とドイツのロマン主義者
第三章 パンクな「民藝」、『新古今』はエロチック 
本居宣長とは何者か
本来の日本の姿は『古事記』の中にある
「ベンチャー国家ジャパン」と『日本書紀』
究極の保守、国学者が行なったラジカルな運動
古典解釈の凄み、醍醐味
本居宣長を「読む」ということ
「もののあはれ」と「エモい」は近い
エロチックな『新古今和歌集』
小林秀雄の究極な目標とは
「計算機自然神社」をつくった理由
「善か悪か」と「浄か不浄か」
仏教はデジタルと親和性が高い
揺らぎと「しなやかに」
太陽の塔とヌルヌルは「ネタかぶり」
日本の歴史は「縄文的なもの」と「弥生的なもの」の繰り返し
岡本太郎も民藝もカウンターカルチャー
鏡と自己認識
古典が前衛的だった百年前
「山師上等」な落合、愚直な先崎
自然によって支配されている状態が長い日本
日本の原風景と思想
第四章 デジタルネイチャーを生きる 
コンピュータサイエンスと東洋思想を合わせた世界観
世界全体が揺らぎの中で動いている
コンピュータなら無限に追い続けられる
デジタルネイチャーは日本と親和性が高い
古典を読むことは現代社会からの避難だった
圧縮と定型こそ日本文化
人類がついにバベルの塔を建て始めた
「純米大吟醸的」AI生成物で価値転倒
マタギに回帰していく未来
日本人の死生観は一気に変わる
死者の言葉が「新しい石油」に
あとがき 先崎彰容
高山樗牛
日本浪曼派
民主主義のいいところは「遅さ」