『ランニング王国を生きる』
マイケル・クローリー, 児島修, 2021, 青土社
https://gyazo.com/d351ae8b5a341034343b4b0e0ff12ee9
2022/4
ランニングという労働
ランニングでも人類学でも、とるべきアプローチは、異なる世界にどっぷり身を浸すこと。
マックス・ウェーバー「脱魔術化は、近代に特有の瑕疵である。西洋人はこの世に計算できない不思議な力などなく、原則としてすべては計算によって極められると信じている。」
心拍数モニターやGPSウォッチを使って計画されたペースで走り、データをアップロードする。アップロードに失敗し、データの登録や過去の記録と比較ができなければ、今回のランはカウントに入らないと冗談めかして言ったりする。
生理学的な数値を測定する。データをものさしにすることで、自分の限界を知っていると思い込んでいる。
ランニングはレクリエーションというより巡礼に近い。
『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』
記録しないと損した気分になる
エチオピアは、天使や悪魔がエネルギーを支配していると言われている場所。
原題『out of thin air』
どこからともなく現れる
薄い空気
ケニアのランナーとエチオピアのランナーは、異なるもの。
アベベ・ビキラ
1960年, ローマオリンピックで裸足で優勝。
ハイレ・ゲブレセラシエ
http://www.shot-web.com/news/070313a.html
「参加者の観察」よりも「観察者の参加」
シンプルなことを毎日しっかりと行う喜び
『走ることについて語るときに僕の語ること』