『イン・ザ・メガチャーチ』
https://gyazo.com/ba89caec34c51439de150858617cb68c
ファンダムとは、「fan(ファン)」と「dom(領地、勢力範囲)」を組み合わせた造語で、特定の対象(アイドル、アニメ、ゲーム、ブランドなど)の熱狂的なファン集団とその文化、コミュニティを指す。 メガチャーチ(英語: Megachurch)とは、平均週末の信徒数が2,000人以上のプロテスタントのキリスト教会である。 代表例
マーケティングチームに、作家や詩人がいるべきじゃないのか。 https://open.spotify.com/episode/7ax8NPKzWtbWQNVwYGpmQZ?si=_Jelv9gYSDKqLergxoICaA
これ以上おもしろくするのはやめてくれぇ、という気持ちになる
「意味もなく茶に行けるか」→意味や目的がないと誘えない
これまで、酒の場、
https://youtu.be/n72xKJJmGjg?si=1Rv8voOurKBTy1jM
ファンダム、行動力が増大している。行動力が集まっている。 いま朝井リョウが見えているものを、標本に、瓶詰めしている。
https://www.youtube.com/live/ZxLK1fRxU4Y?si=aiqFp3W7yECJT3wD
朝井リョウ × 柳澤田実『イン・ザ・メガチャーチ』対談 「欧米の信仰復興と日本の推し活には共通点がある」 朝井:保守側の多様化、すごく興味深いと同時に、なんであれ実際に行動力を発揮している場に若者が集うという話には非常に納得感がありますし、今作で書きたかったことに重なる部分があります。依存という言葉はネガティブに響きがちですが、コミットメントと考えると、エネルギーの向かう先は自分にではなく他者や外部になりますよね。人間は自分以外の何かのために生きることで幸福を感じる側面も持ち合わせていますが、今は自分以外の“現実”が流行っていないというか、自分以外の“現実”に労力を注ぐことが賞賛されにくくなっている雰囲気を感じます。その反動として“夢”を与えてくれるアイドルなどへの推し活に深くハマるという構造もあるのではないかと思います。 同時に、その構造を自ら選び取り、その構造の内部に「いる自分」への誇り(ラップの“in the building”のニュアンス)も絶対に書きたかったんです。推し活を批判的にジャッジしたかったわけではなく、その場にしかない、それこそ甚大な行動力に満ちた命の輝きも描写したかったので、自ら選んで「ここにいる」という感覚をタイトルに込めたくて『イン・ザ(In the)・メガチャーチ』としました。 柳澤:人間の行動を進化論的に説明すると、生存という目的に全てが方向づけられてしまい、それこそ生殖は絶対的に正しいことになりますが、それだけだと人間が持つ複雑さやニュアンスが消えてしまう。でも同時にやはり私たちは生物でしかないというリアリティも私は大事だと思います。朝井さんの作品は、単一のレイヤーで全てを捉えることの危うさを描いていると感じました。 柳澤:朝井さんが『イン・ザ・メガチャーチ』についてのコメントで、「自分は文学という教会に通い続けてきた」と書かれていたのが印象的でした。
朝井:小説は社会的に“よいもの”とみなされがちで、私は偶然そこに傾倒できただけだと思っているんです。もしも私がアダルトゲームのシナリオライターだったら、きっと新聞社からのインタビュー依頼はないでしょう。私にとっての小説は、読んでも書いても、いくらでも時間を吸い取ってくれて、視野を狭めてくれるものでもあるんです。私は「時間が早く過ぎること」は幸福の重要な尺度だと思っていて、小説の読み書きはその強度が高い。だから“小説という教会”という表現を使いました。そこにいれば安全――社会的に悪く言われない空間でもある。その安全さへの自戒も込めています。 偶然そこに傾倒できた。