柄谷行人『世界史の構造』
資本主義国家の構造
三位一体の資本主義国家
資本
資本主義的な経済体制
交換様式Cが支配的な体制
ネーション
人々の社会的・文化的集合としての国
交換様式Aが支配的な体制
ステート
政治体制・制度としての国家
交換様式Bが支配的な体制
これら3つのレベルは相互に補完し合って機能し、どれが欠けても機能しないボロメアの環のような関係 この3つのレベルはそれぞれ異なる交換様式によって機能している
社会民主主義や「大きな政府」政策はこのI'm 三位一体の資本主義国家への抵抗ではなく、むしろこの三位一体がどこまでも機能し続けることの証明になる。 社会主義が世界同時革命を目指さざるをえないのも同じ理由による。
資本主義の三体性は一国の内部でできたものではなく超国家的に形成されていったものであるため、その資本=ネーション=ステートの形を変えようとするなら全世界的に革命を行う必要がある。
それができないとフランス革命後のロベスピエールにようテロルやソ連の専制政治のような恐怖政治に陥らざるを得ない 柄谷はマルクスからヘーゲルに立ち返ることでこの三位一体のシステムを見出す一方、この体制を究極的な体制とみなし越え出ていこうとしなかったヘーゲルを批判する。 この三体性を見ると、国家(ネーション・ステート)は下部構造に自動追従するような上部構造ではなく、国家自体ある種の下部構造に根差し、能動的主体性を持つということを認める必要が出てくる
既存の社会主義実践はこれを無視したがゆえにファシズムに敗北したと柄谷は考える またこの主体性に直面したポストマルクス主義が下部構造の吟味を「棚上げ」し、「上部構造の相対的自律性」に終始したことが、ポストモダニズムの源泉の一つになったと主張する テクスト解釈の「決定不可能性」、文学・哲学の自律性の主張との合流
マルクス/カント/ヘーゲル
ヘーゲルにおいて理念は現実に内在する。現実こそが理念的なものであり、現実は実現した理念として事後的に見いだされる
一方カントにおける理念は「統整的」なものであり、決して現実化しないが目指していくべき無限遠点である。そうした意味でカントの歴史観は事前的である。
マルクスの史的唯物論はヘーゲルに対する批判的克服という面を持つ。そのためマルクス史観ではヘーゲル的な事後性が前提とされている
共産主義体制の実現は「目指すべき理念」ではなく「必然的な帰結」でなければならない
その前提下で道徳的な契機を組み込むためにカント派マルクス主義では観念的な次元に道徳を導入しようとしたが、上述の通り、本来その必要はない、というのが柄谷の見方
交換様式と体制
マルクス自身は資本主義社会における交換様式を分析した結果「生産様式」を導き出した
しかしマルクス以降のマルクス主義には資本主義経済を前提とした「生産様式」の概念だけが継承され、それを基に資本主義以前の経済や政治を分析するという誤りが起きてしまった
政治体制はそれ自体が交換様式の表れであることも多い
アジア的/古代ギリシャ・ローマ的生産様式
そちょうよう
マルクス=柄谷の交換様式の分類
交換様式A:互酬
これは共同体の内部で行われる「共同寄託=再分配」とは区別される。
互酬は共同体どうしが友好的関係を築き、より大きな共同体を成層的に形成する原理である
互酬が支配的な体制が「ネーション」である
互酬的な氏族社会は資本制社会の下で解体されたが、それはネーションという形で再編された
交換様式B:略取と再分配
これも共同体同士の関係として発生する。
継続的な略取のためには再分配が必要となる。これによって略取は交換様式となる
支配共同体は被支配共同体を侵略から保護し、公共事業によって育成する
略取・再分配が支配的な体制が「国家(ステート)」である
交換様式C: 商品交換
商品交換は互いを自由な主体として認めることで成立する
そのため商品交換様式の発達は個々人を共同体の拘束から解放することを伴って進行する
そうして共同体から解放された個々人の自主的なアソシエーションが都市である
重要なのはこれが相互の自由を前提としつつも相互の平等を意味してはいないという点
貨幣と商品の非対称性
貨幣を持つものは暴力的強制がなくとも他者を使役し財を取得できる
それゆえ貨幣の自己増殖運動が発生する
商品交換が支配的な体制が資本制社会である
交換様式D: X
交換様式Aがより高次に回帰するようなあり方
一次的には宗教的共同体として発生する
Dによる体制はバリエーションがあるが、ソヴィエト、評議会コミュニズムといった形で試行されてきた
ネーション、ステート、資本主義は常に文明に存在した複数の交換様式の中でどれが支配的になりどれが抑圧されるかというバランスが歴史的に変化する中で生まれ出てきた体制であり、それぞれが別々の交換様式に目指している。
それぞれが下部構造としての交換様式に根ざすからこそ国家やネーション、資本主義経済自体が自律性・能動性を持ちうるのである
またどんな体制下であってもそれぞれの交換様式の空間は存在し続けるという点にも留意が必要。