リズムとサンプリング
サンプリングのラディカルさは、切断された断片がリズムによって、コンテクストを持たないままくっついているという点にある
象徴界も想像界も、それぞれに異なるリズム体系をもったリズムの空間なのだと言えるかもしれない。充足と欠如、対象と表現、発話と聴取… サンプリングはそうした意味のリズム・イマージュのリズムに捉えらえている音を切断する。しかしそれはただそれを切り離すだけでは終わらない。かと言ってそれに「新たな意味のリズム」や「新たなイマージュのリズム」を与えて安定状態へ戻り、満足するわけでもない。それは切断したままにつなげ、繋がっているのに切断されているのだ。
物理的な音のリズムの中で、記号性やイマージュを剥ぎ取られた音は「ただの音」として、現実界のサウンドを響かせる。本来であればそれは許されない。意味を剥がしたものにはすぐに新しいメタな意味が付け加わるからだ。しかしサンプリングミュージックにおいては、反復が、リズムがそれを跳ねのける。新たに意味を、イマージュを、エクリチュールを塗りたくろうとしてくるモノたちを、リズムが弾き返す。リズムさえあれば、意味やイマージュがなくても、音は宙づりのままそこにあることができるからだ。
ヒップホップやハウスミュージックと、それ以前のハイアートっぽいサウンドコラージュの最大の違いはそこにある。ハウスやヒップホップにはリズムがある。それは意味もイマージュも必要とせず、ただオーディエンスを躍らせるノリが、グルーヴがありさえすればいい。その物質性が、ハイアートのようにサンプルを陳腐な文脈の下に「再領土化」することなく、「ただの音」のまま宙づりにしておくことを許すのである。
リズムが認識的な連続性を担保するから。他の連続性は必要ない。
その時音はただの振動であり、ただの刺激だ。
接地問題は記号体系の側にあるのではなく、我々のノリ方の問題なのだ。結局のところ、意味やイマージュがなくても、我々が身体を使って刻みさえすれば、それは接地する。
リズムはある要素を反復することで非意味的に接続する。
「<開かれ>をあるがままにする」こと