サイボーグ
これまでわたしはずっと「サイボーグ」を特定の歴史的条件に照らして定義してきたわけなのですが、それは機械の同義語ではありません。「サイボーグ」はぴかぴか光る金属製のロボットの同義語ではない。具体的には、サイボーグは通信科学や装置に深く関与したサイバネティックスの有機体なんですね。この通信科学や装置を著しく刺激したのが、ベル電話会社のような通信産業、それから第二次大戦の戦時協力と冷戦期の技術開発、特にその軍事や監視に用いられる装置でした。
だからわたしが訴えたいのは、サイボーグは、そうしたさまざまな歴史的な条件に即した役割を担うのですけど、他方でその始めから、同じ歴史的条件をいつも凌駕してしまっている存在でもある、ということです。「サイボーグ」には「堆肥体」も含まれます。たとえば、現代の生物学や生態学に伴うさまざまな世界生成や生成変化にサイボーグが深くかかわっているのと理屈は同じです。 伴侶動物としての機械、エコロジーとしてのサイバネティック、みたいに有機体的なモデルを機械にあてはめて考える、という方向でとらえていたけど、ハラウェイ的には堆肥体や伴侶動物のような有機体もある種のサイボーグである、という捉え方なんだろうか
だとしたら、それはある種の人間例外主義・人間中心主義に立ち戻ってしまわないか?
あるいはD+Gのようなミクロで抽象的なレベルで「機械」という概念を捉えているか。