アジール
聖域。駆け込み寺。法外。
アジールあるいはアサイラム(独: Asyl、仏: asile、英: asylum)は、歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのことを意味する。古代ギリシア語の「ἄσυλον注 1(ásylon:侵すことのできない、神聖な場所)」を語源とする。具体的には、おおむね「統治権力が及ばない地域」ということになる。現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。 ただし、国家社会に残った呪術的なものが「平等主義的」な機能を果たす例がある。それは「アジール」である。そこに入ると、人々はそれまでの社会的拘束から解放される。アジールはどんな国家社会にも普遍的に存在している。それは社会的な拘束や制限から解放させる倫理的な意義をもつのである。むろん、それはヒューマニズムにもとづくものではない。オルトヴィン・ヘンスラーは、アジールは元来、呪術的な起源をもつもので、倫理的な意味をもっていなかったという(4)。では、なぜ呪術的なものが倫理的な意義をもつのか。われわれの考えでは、アジールは、氏族社会が国家社会になった時点で抑圧されようになった遊動性が回帰したものである。その意味で、最初から倫理的な意義をはらんでいる。ただ、それは「抑圧されたものの回帰」として、強迫的なかたちであらわれる。すなわち、呪術的な力として。国家的な権力がアジールに逃げ込んだ者に手を出せないのは、彼らにいわばアニマが付いているからだ。 宮台真司は90年代日本におけるストリートについて、80年代以降加速した社会のシステム化、生活世界の消滅といった流れに残された最後のアジールだと指摘
しかしクラブやクラブ的空間にはまた別種の抑圧が存在することが多い
身体性
性暴力
音楽的体験の主体性の問題
クラブの健全化の話になるたびにアジール概念持ち出して不健全なままであるべきって主張してるkbyshwtn.icon
塾高の授業でジブリ見せる現国の先生が網野善彦のアジール概念を軸に千と千尋の神隠しを解説してて、それ以降ずっと好きな概念。