オワコン化してからが本番
ハイプのライフサイクル
技術が飛躍的な進歩/パッケージ化によってトピック化する
それが「将来実現される最強の〇〇のプロトタイプ」として理解される
メタバース、AGIなど
最強の〇〇に至るまでの技術的な遠さ、現状のツール自体が持っている癖・制限・特化性が前景化し始める
「ハイプだった」と判断される=オワコン化
toreytak.icon佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』という書籍がこの流れを分析するのみならず、なぜそれが繰り返されるのか?というところまで踏み込んで分析しているので、ご興味あれば読んで見てください。
でもいま・ここにあるツールとしての「かたち」(事物性・物質性・テクスチャ)そのものが浮き出てくるのはオワコン化してからなのでは
そして芸術は未達の将来像ではなくオワコン化して見えてくる事物性からこそ出発するべきなのではないか
そういう将来像は結局GAFAやコンサルが作り出したものでしかなく、メディアアーティストや政治家が無批判にそれを受容するのは批評性がなさすぎる