幻聴の世界
『幻聴の世界 ヒアリング・ヴォイシズ』日本臨床心理学会 編, 中央法規, 2010
日本臨床心理学会
科学に佇む本の棚
シン・日常『幻聴の世界 ヒアリング・ヴォイシズ』
余談だが、「とりあえず『科学に佇む本の棚』さんか『読書猿』さんが紹介していたらマトモな本だろうと判断する」と先日読書仲間と雑談した矢先、『科学に佇む本の棚』で『土偶を読む』の紹介があり、あっ…… と思った。 → 関連書: 土偶を読むを読む 本自体に対する感想
クライアントによって人生歴は異なるため、治療すべき症状も異なる。
巻末「附章」の統合失調症患者自身のエッセイで、彼は自分自身を含む患者たちをクライアントと呼んでいる。自立的な表現。
エビデンスを重ねて確立した医療モデル(投薬など)だけでは 患者は適切な回復に進まないのではないか、人文学の聞き取りのように患者ひとりひとりの生活史を個別に聞くことも求められるのではないかと考えた。(エビデンスに基づいた画一の治療には限界があり、オーダーメイドが求められるのではないか)
幻聴を根治するべき症状とみなさずに、幻聴にも耳を傾けて回復を目指すのは、現代医療の主流からはオルタネイトな立場である。※この本は投薬などの現代医療の否定は行っておらず、あくまでもオルタネイトな回復プロセスを提案しているだけで、いわゆるトンデモ本ではない。
自分自身や作品に対する感想
薬物や飲酒、宗教的な修行で悟りや偽の悟り(魔境)に入ることでも幻聴は聞こえる。 多くの宗教者は天の声を聴く預言者である。
聖という字は、天の声を耳で聞き、口で人々に伝える王(権力を持つ預言者)を指す。
テキストを読むときに内語(頭の中での声の再生)があるかどうかも人によるらしい。
ひどい極論を言えば、小説を読むのは誰かの内語をインストールすることだ。
統合失調症に限らず、治療とは、その症状に困っているから治療するのが前提である(症状があるから症状をなくすのではなく、症状に困っているから治療する) という立場に私は立つ。
精神病の強制的な治療が人権侵害していた歴史もあった。
しかし本人の意思(本人が困っている)ではなく、周囲の人間の意思や希望の尊重は? とアルコール依存症の「被害者」である私は思う。
いまのところ、自著の長編小説ではメンタルヘルスの課題をかかえている主要人物がいるという解釈が可能だ。 作中では/作者としては「解釈が可能だ」という表現に留める。
なぜなら、私(作家)は病理や治癒の専門家ではなく、誤ったことを言う可能性がある。作品は現実の事象に対する正しさを保証しないし、あえて現代医療においては誤った表現を意図的に書いていることもある。
作中では、世界の方が狂っており病人とされている人の方が正しい場合もある。これは現代医療に反しており推奨されることではない。
いくら「この物語はフィクションです」と呪文を唱えたところで、(精神病歴の有無にかかわらず)人は物語から得た情報を生活や規範に取り入れてしまう。作品は必ずしも正しくない。あえて過ちを描くことで、一般的な世界の知覚とは別の(オルタネイトな)真理を描き出そうとする→オカルト:暴くこと 作品はときに誤っているため現実の問題に対して責任を取れないが、読者が作品から誤った影響を受ける可能性があり続けることについて、今は「どうしよう」としか言えない。あるいは邪道を行くことでいつかバッシングを受ける「覚悟を決める」ことしかフィクションの作者にはできないのかもしれない。
以下書籍の要約メモ
幻聴について
幻聴体験は長く分裂病=統合失調症の症状とみなされていた
そのため治療者は幻聴を取り除く薬を投与し、患者から幻聴の内容を聞くべきではないとしていた
幻聴は「統合失調症の症状」に限らず、それ自体は健常者にもありうる現象である
疲労などの条件が重なると、誰でも一時的に体験することがある
体験談:座禅で集中に入ったときに聞いたことがある(p.024)
幻聴は、古くは「狐憑き」など、物の怪(妖怪)の仕業とされた 歴史上の宗教者や現代のシャーマンも、多くは天の声をお告げとして聞く者である 事例:解離性人格障害の患者(中年の女性)。悪霊と聖徳太子の霊が憑いているという。彼女はしだいに太子霊が悪霊を退治するのを待つことになり、投薬もやめて、周囲の人々も彼女に太子が憑いている状態の予言や占いを信じ始めた。彼女は最終的に太子霊と合一を果たし(?)新興宗教を設立した(p.102)
幻聴にあえて耳を傾ける当事者活動・医療活動
従来の医療モデルのように、幻聴を症状とみなして幻聴の内容を無視して取り払うのではなく、幻聴の内容を聞くことを提案する「ヒアリング・ヴォイシズ」という当事者活動や医療の立場がうまれた(この考えを広め、研究する集まり→インタヴォイス)
画一的な医療に対する、患者の人権遵守の活動でもある
ヒアリング・ヴォイシズの考えでは、精神病が脳の病気だと主張する医学モデルを否定している。「精神病」と呼ばれる状態は、異常な環境に対する正常の反応と考え、その原因となった異常な環境に対処しようとする社会モデルを採用している。(p.114)
すなわち、幻聴、妄想などのいわゆる精神病の症状を薬で抑えるのではなく、社会状況と、個人の反応との相互作用を探ることが大切だと教える。(p.114)
患者ひとりひとりの主体性を支えるために、体験に根ざしたアプローチを行う(p.130)
事例:統合失調症で幻聴の症状がある人が、幻覚に効く新薬に変えたら、幻覚が消えて寂しくなり薬を戻した(p.045)
薬物療法だけで、その人の苦しんできた生活史や記憶が払拭されるわけではない(p.138)
認知行動療法:患者によって異なる対処法がある
精神病の症状として幻聴があるのではなく、幻聴(自分や他者を責めたり、暴力的な活動を促す声)に対してうまく対応できないから精神病とみなされるのではないか という指摘
社会のなかで個人がうまく機能できないということが、病として表されているということだった。(p.195)
幻聴の脳科学的分析(p.052〜)
ブローカ野(運動性言語野):話す、書くといった言葉の動作面に関与している。前頭葉の外側の下前頭回にある。
聴覚野:側頭葉にある。
一次聴覚野:左右にあり、反対側の耳から入ってきた聴覚情報の音量、音高などを同定する
二次聴覚野:音の意味を解釈する
ウェルニッケ野(感覚性言語野):聴覚野を取り囲んでいる(側頭葉)。音や声を聞いて認識する。聴く、読むといった言葉の感覚面に関与している。
右利きの人の90%以上は脳の左半球に言語野があり、優位半球は左側になる。左利きの人の優位半球は70%程度が右、15%が左、残りの15%は優位半球を決められないと言われる。
以下の調査は音楽性の幻聴以外の言語性幻聴を調べたときの事例
1. MRIによる調査(p.057)
1990年・統合失調症患者の調査:幻聴が強いほど、ウェルニッケ野の一部を構成する左上側頭回の体積が小さくなる。
1995年:左上側頭回の容積と幻聴の重篤度に負の相関がある
この研究では、研究者が個々のMRI画像において恣意的に注目領域を設定するROI法を使っている(関心領域:region of interest)。よって研究者の主観が含まれている。
2. VBMによる調査(p.058)
VBM:個々に異なる脳の形態を、コンピュータがボクセルに変形して、脳の各領域の容積差を比較する。MRIと異なり、全脳を対象に調査できる。
2006年:左上側頭回、左視床、右小脳の灰白質体積と幻聴の程度に負の相関がある
左上側頭回:1990年などの調査と同じ。左上側頭回は感覚性言語の領域(一次聴覚野、ウェルニッケ野)
てんかんの発作症状として幻聴が生じることもある。そのときの発作の焦点も左上側頭が最も多い。
以上の調査から、幻聴は感覚領域の障害と関係があるのでは? 脳の障害のあった部位の領域の異常な活性化が、幻聴として体験されるのでは?
3. 幻聴が聞こえているときの脳活動を測定する試み
幻聴があるときとないときの差を調べる試み
幻聴と通常の聴覚の違いを調べる試み
4. 幻聴の聞こえる患者群、幻聴の聞こえない患者群の差を調べる試み
幻聴と通常の聴覚の違い
1999年の調査:実際の音と幻聴で、脳の活性化する領域に左右差があった
実際の音では、聴覚中枢のへシュル横回(側頭部の左右)が活性化した。
幻聴では、左側のへシュル横回のみが活性化した。
幻聴でも聴覚中枢が活性化している点で、幻聴も通常の音声と同じように感知されているようだ。
幻聴では左側のへシュル横回のみが活性化したことから、言語の生成医療域が幻聴の出現に関わっている可能性がある。
1993年の調査:幻聴があるときとないときの脳血流の比較
幻聴があるときは、ブローカ野、左前部帯状回、左側頭葉皮質での血流上昇が見られた。(ブローカ野の活性化に注目)
1995年の調査:皮質下核と辺縁系の活動亢進が見られた。
皮質下核は主にスムーズな運動を可能にする機能を有すると考えられている。調査から、皮質下核が幻聴の生成、修飾に関与している可能性もある。
幻聴の調査の困難さ
幻聴が聞こえたときにボタンを押してもらう調査方式では、ボタンを押す注意や運動を担う脳の領域が活性化されてしまう。
調査機械の発する音で、幻聴と関係ない聴覚野が活性化されてしまう。
そのため、幻聴の有無を即時ボタンで教えてもらう方式ではなく、幻聴があったかどうかあとで知らせる形式にした。また、機械音が発生していないときのデータを使用した。
2000年の調査:幻聴があるときに、一次聴覚野の活性化は見られなかった。「内語」の際に活性化される領域に酷似した領域の活性化が見られた。
「内語」(inner speach)
1982年のレビンらによる定義:「音の発生を伴わずに自らに話しかけ、言語の聴覚、音韻イメージを広げる主観的な現象」
黙読で声が聞こえるとか、頭の中の独り言とか?
内語に関する仮説:VSM(言語的な自己モニタリング:verbal self-monitoring)
内語を発生させるとき、前頭葉の言語産生領域から聴覚皮質へ、「自分の言語がこれから作られる」と警告を発している
「VSMが障害されると内語が内語として認識できずに幻聴体験になる」仮説
あらたな撮影方法 DTI(拡散テンソル画像:diffusion tensor imaging)
白質線維の結合の強さを、水分子の拡散のベクトルの総和から調べる
脳の離れた分野の相互の関連性を、神経線維の結合の強さから推測できる
2004年の調査:幻聴のある患者群は、言語生成領域と聴覚処理・言語知覚領域間の機能的結合がより高くなっていることが示唆される
統合失調症における「自生思考」(脈絡のない考えが次々に浮かんでくる)と関係があるかもしれない
内語によって、言語生成領域と外部からの音声処理に関わる領域が異常に活性化し、外からの刺激と区別がつかなくなって、幻聴が発生している可能性がある。
以上 執筆当時でもわからないことだし、2010年の出版物なので、現状(2024年2月)ではさらなる発展があるかも。