土偶を読むを読む
『土偶を読むを読む』縄文ZINE(編), 文学通信, 2023
最近の考古学がやっていること(資料解析技術の進化により新たに分かってきたこと)が読めて面白かった。
事前知識として必要なのは炭素14年代測定ぐらいか。下記程度の理解で十分。
資料の炭素内の放射性炭素(C14)の量を測定することで資料の年代がわかるようになった。
1950年ごろから炭素14年代測定が利用可能になった。
考古学は発掘資料の整理(型式学)・分析ありき。とくに近年はデータ解析技術が発達し、資料解析には理系分野の知識も必要になる。
資料ありきゆえに、頭の中で考えた柔軟な発想をそのまま大胆な仮説として提唱するのが難しい分野である。断定ができず、「かもしれない」という言い方しか出来ないので、ただちに真実を欲する人にはウケが悪い
逆に『土偶を読む』の自信満々な断定が世間からは評価される。書籍内での検証方法がずさんだったとしても。
「分からないことは分からない」と認める自制も重要なのではないか。
書籍後半は、専門知が一般社会と隔絶していることに対する苦渋がにじんでいる。
p.337 インタビュー内 『土偶を読む』に植物考古学の成果が引用されていないことに対して
佐々木 そうですね。植物考古学の成果を(……)本としてまとめて来たんですが、本当に伝わってないんだなって。
望月 悲しいですね。
p.401 菅豊『知の「鑑定人」 専門知批判は専門知否定であってはならない』
自由な発想での解釈は、一般書(娯楽書)やオカルト(娯楽書)、フィクションとして流通する分には楽しいと思う。
学問は知の積み重ねをもとに成り立っているし、こと考古学は資料ありきなので、学問として資料を無視または恣意的な見せ方をする(捏造)のは本当にどうかと思う>『土偶を読む』
『土偶を読むを読む』前半の検証セクションはわりと癇に障るような下品めな文体だけど、p.385の『実験』を見るに原著の『土偶を読む』もどうやらこんな温度感っぽいので、じゃあおあいこかあ〜って。帯文「皆目、見当、違い!」も原著の表現らしい。
これぐらい茶化した文体でないととても読み進められない&検証を書けない程である と察して痛ましく思った
出典を書けばライムを引用してもいいんだな〜と思った(雑)
p.5 はじめに
雪かきは有労働だ。しかし誰かがやらねばならない。
前半はジョークに満ちた軽い文体で、後半は現在活動している考古学者による解説や、専門知が社会と乖離していくことへの専門家自身の内省が加わる。全体にカジュアルで読みやすく、笑える箇所もあり、一般書と専門書の架け橋としてちょうどいいんじゃないか。値段もカジュアル(本体2000円)
ハードカバー 背幅3cm弱で2000円で流通できるんですねえ!!(本の値段が高い海外文学読者の感想)