NOPE
🛸 ネタバレしかない
観た人向けに書いており、説明や丁寧な描写はいっさいないメモ書き(雑文)です
☁
最近(2021年以降?)山川のこと知った人はしらないと思うんだけど、
自分は野鳥とクラゲが大好きなんですよ
もっともふざけた調子で=誤解を招くためにキャッチコピーをつけるなら
“ハリウッド版「三毛別羆事件」” (をちゃんとエンタメ化した作品)
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私は自己批判的な作品が大好き(自己批判ができる作家を信頼する)
だからエンターテインメント批判に始まる『NOPE』はめちゃくちゃ高評価で見ている
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ホラー映画のストーリーで、怪異を解明しようとするストーリーのとき、どうしても一昔前のホラー映画『パラノーマル・アクティビティ』などで描かれるスティグマが頭をよぎる
・「理性的・科学的」な「男」が合理主義で怪異を解明しようとして失敗する
・「無知」な「女」が男をとめようとする
これらのスティグマはアリ・アスターが『ヘレディタリー 継承』や『ミッドサマー』でより悪意をこめて継承している
『NOPE』あらすじで、妹(つまり女)が怪異解明のために先んじて動き始めているのを見て、上記のスティグマから離れた設定をやや意外に思った
主人公のOJは「理性的・科学的」な「男」なのだが、まったく雄弁ではない(真面目で内気)なせいでぜんぜん話を聞いてもらえない
ハリウッドに対しては、妹・エメラルドの雄弁な物語りしか響かない
最初こそ 真面目な仕事人のOJ vs 遊び人のエメラルド って感じだったが、Gジャンに立ち向かっていくにつれて兄妹がたがいにたがいを思いやっていき、兄妹描写として爽やかで良かった
エメラルドが子供の頃に調教できなかった馬の名前を、ともに倒すべき怪物に名付けてあげるOJの優しさがじわじわとしみる
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「UFOにアブダクションされたあとはどうなるの?」という意外と知られていない(???)アブダクション後の描写について、最悪な設定を開陳されてめちゃくちゃよかった 「UFOにアブダクションされるとUFOに食われるが、UFOは獲物を丸呑みにするから捕食された段階で獲物はまだ生きているのでUFOの胃のなかで生きたまますし詰めにされる」なんて思わなかったよ
UFOはエイリアンの乗り物なのかと思ったら、UFOがエイリアン本体だったなんて……
ホラー作品で、怪物が新たな獲物を得るために捕食した人間の声真似(助けを求める悲鳴をあげる)をして次の獲物を誘う みたいな設定があるけど(具体的な作品を忘れた) 最初NOPEもそれかと思ったんだよ まだ胃のなかで生きてるなんてね
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海洋生物似なエイリアン・Gジャンのビジュアルも大変カッコよかった
クリーチャーはカッコよくてなんぼ
クジラっぽい? と最初は思ったけど、案外柔らかそうで知能は低そうなところを見るに、クジラというよりジンベエザメみたいな感じかな……と想像
『FINAL FANTASY X』の敵「シン」みたいなキモさがあって良かった
ずっとフライングソーサーで行くと思ったら最終変形が巨大クラゲめいたたいへんにイカしたデザインで心をくすぐる
で、そんな海洋生物を思わせる外見のGジャンに風船を食わせて殺す というのが、
もしかして海洋プラスチックごみによる海洋汚染の暗示か? と思ってしまった
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捕食者としてのGジャンが、人間の天敵として最適すぎる
だってUFOは「見たい」
最終形態の空飛ぶ巨大クラゲも「見たい」
というかヒトって視覚優位で進化してきた生物だから、危険なものは「見たい」「見て理解したい」わけで、(だから「怖いものを見る」ホラー映画が娯楽として成り立つわけで)
途中OJとエメラルドがカメラ屋さん(名前なんだっけ)と一緒に市街地に避難してきたときに、ここにUFO現れたら最悪だな……と勝手に悪い想像を膨らませていた
被害が牧場とジュープ(アジア系男性)のテーマパークだけで済んでよかったのではないか いやけっこう死んでるから良くはないが というかOJとエメラルドの父がUFOの吐き出したゴミで亡くなっているから、UFOは人知れずどこか別の場所でも捕食活動をしているはず あれ、思ったより被害おおきい?
「見る」ことがトリガーの呪物(超常現象)ってけっこうよくあると思うけど(見るなのタブー)
『NOPE』作中に呪いの類はいっさいなく(作中の奇跡は、父の死と靴の件だけで、どちらも間の悪すぎた偶然)、
Gジャンが襲いかかるトリガーは「目があったから」というただの野生動物の習性によるもので
敵が地球外生命体であることを除いてマジカルな要素は一切ない それが面白かったなと
基本的に野生動物と目を合わせてはいけないのだが、人間の都合でそれは無視される
冒頭のチンパンジー・ゴーディの暴走は、地球外生命体のGジャンがチンパンジーと同じくただの生き物であることの説明 にも使われているのかな
っていうかチンパンジー・ゴーディとアジア系子役・ジュープが仲良しっていう劇中劇の設定って、
アジア系をサルの仲間とみなしている90年代アメリカの差別表現ってことでしょうか?
NOPEという響きにAPEの含みを感じるのは私だけでしょうか?
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・動物の生態を無視してヒトの一方的な視線を浴びせるエンタメ業界(視線の暴力)
・黒人やアジア系に対する差別:冒頭のジョッキーのくだり、黒人をいないものとして扱う(見ない)暴力
・「見たい」というヒトの欲望
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バイク乗りのカメラマンのミラー加工のフルフェイスヘルメットのデザイン
ひと目見た瞬間に「あ こいつヤバいな」と感じられる無駄のない造形で良かった
冒頭のラッキー(黒馬)と鏡のシーンですぐに察したいやな予感を
ここで繰り返されると思わなかった
話はずれるが、映画の伏線構築は視聴者の記憶力に大いに依存している。
ゲスな思考実験として:「本物のバカ」が映画を見たらどうなってしまうのだろうか
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いくらただの生物とはいえ災害みたいなGジャンに対し、「見たい」という欲望を抑えて目を伏せるのは、すごくストイックでぐっときた
「命を守るために、見ない」というのを見る娯楽である映画でやるのがすごく良いな〜やっぱり自己批判的作品は信頼できる・好感を抱く
つまり、「無遠慮な視線を向けない」ことは相手への尊重を示す
作中で暴かれなかったもの:
チンパンジー・ゴーディがアジア系子役・ジュープに種を超えた友情を感じていたのかは「分からない」。ドラマ中で絡みが多かっただろうジュープにゴーディが特別心を許していたかもしれないし、単に動物の条件反射としてゴーディはジュープにグータッチしようとしただけかもしれない(ジュープの視線がテーブルクロスで遮られていたからゴーディは落ち着いただけ=つまり友情は存在しない という説も見た)
でも、作中でその答えは示されない
アブダクションされたあとのUFOの中身まで丁寧に描いちゃう作品で、暴かれない箇所が残されているのが良かったな
一方でエメラルドたちの目的はUFOを撮影して一攫千金を狙うことで
最後の最後は「結局撮れちゃうんだ!?」って驚いた 謎は謎のままに収まるかと思っていた
これまで「無遠慮な視線を向けない」がテーマだったのに
まあOJ&エメラルドは多大な犠牲を出しながらよく頑張ったから、この決定的写真ぐらいは戦利品として持たせてあげたい気持ちもわかる(思ったより死者多いからね)
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ちゃんとエンタメとして着地しているんだよな
終盤に馬&バイクに乗ってからのパロディ描写は「今そんなことしてる場合か!?」ってビックリしたんだけど
やっぱり無駄なシークエンスが一切なくて、緻密な技工を感じる
このあと何が無駄なシークエンスなのかなんなのか全然わからない『君たちはどう生きるか』を見たがそれは別の話 出来の良い映画を観ると無駄なカットが何一つなくて驚くが、だから小説もそのように書けば良いとは思わない