神道とは何か
『神道とは何か』神と仏の日本史
伊藤聡 著
序章 「神道」の時代
神道国教化政策のはじまり〜失敗
慶応三年十二月九日(西暦1868年1月3日)
王政復古の大号令
慶応四年(明治元年) 祭政一致・神祇官再興布告
〜以降 廃仏毀釈(破壊活動)の活性化〜
明治2年 神祇官設置
明治3年 大教宣布の詔 *大教=神道 宣教師を派遣して神道の国民教化をはかる
対外政策:キリスト教流入防止
国内政策:神仏分離し、神武天皇時代の「純粋」な神道に戻す
明治4年 “神祇官は神祇省として太政官の一省に格下げとなり、以降後退”(p.5)
“平田派の国学者たちが主張する、祭政一致の政治体制の実行が困難だった”(p.5)
“布教・宣教活動の経験に乏しい神道関係者のみによる国民教化は難航”(p.6)
明治5年 神祇省→教部省に編成しなおし 教育機関として大教院を設置 仏教も共同してキリスト教排除と国民教化をする体制になる
→キリスト教排除方針が欧米諸国から反発される(岩倉使節団の帰朝後に、信教の自由の保証を要求された)
→国内でも教部省・大教院に不満
明治8年 大教院解体
明治10年 教部省廃止→内務省社寺局に縮小
寺社制度の再編(祭祀の体系化や社格の整備など)は進められる
神道非宗教説
(挫折した国教化にかわって)神道を宗教の埒外に置こうとする思想
(仏教だけでなく)修験道(→山岳信仰&仏教のMIX)・陰陽道(→占い・技術体系)の廃止
国民の「文明化」にむけて、伝統的習俗の禁止
仏教側からも、近代化のために、神仏習合的な要素の否定・脱却運動がおこる
“現在我々が目にする神社・祭式の姿は、このとき以来のもので、たかだか百数十年を経たに過ぎない。”(p.7)
日本の神祇信仰や言説は、仏教との関わりのなかで展開してきたもので、神仏習合していたころの歴史のほうが長かった。
問い: なぜ神道(と現在は呼ばれる神祇信仰)は、仏教に完全に取り込まれることがなかったのか?
主張(歴史観):「神道は仏教を借りてきただけ、神道の本質に影響はなかった」という主張 (宮地直一『神祇史体系』,1941)
古代(仏教伝来前):ピュア神道
仏教伝来後:混淆 一番長かったこの時代は「中世にすぎない」
神仏分離後:ピュア神道にもどる
☆雑感:「我が国・我が民族の古来のもの、失われない魂的なもの」への希求(のあやうさ)→ 土偶を読むを読むで語られた「縄文」への過剰な期待に通じる 「神道」という語のあいまいさ、言葉の定義
歴史学者・思想史家の津田左右吉(1893-1961)『日本の神道』(1949)内の分類
(p.10)
① 民族的風習(呪術を含む)
② 神の権威や地位、神そのもの
③ 民族的風習に、何らかの思想的解釈を加えたもの(例:両部神道、唯一神道、垂加神道)
④ 特定の神社で宣伝されているもの(例:伊勢神道、山王神道)
⑤ 政治・道徳的規範としてつかわれるもの
⑥ 宗派(例:天理教、金光教)
津田によれば、古代における用法は①②のみ、③〜⑥は中世以降に出現