ザ・ブルーハーツ_ドブネズミの伝説
『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』, 陣野俊史 著, 河出書房新社, 2020
ザ・ブルーハーツのバンド史(結成のエピソード、解散に至る流れ)と、昭和末期から平成へと移る日本史・世界史。 および甲本ヒロト・真島昌利(マーシー)の詩の批評。
文芸批評的立場で書かれており、音楽論からの批評はない(この曲はスカ調で〜という注意書きぐらい)
バブル経済〜バブル崩壊にかけた平成史、バンドブーム、日本のパンク・ロック史として、 結成エピソードから不思議な倦怠と悲しみにあふれている。
以下孫引き: 高山文彦「「ドブネズミ」はいかにして「教祖」になったか」、『Views』一九九五年十一月号、一三一頁
上京した甲本がチンピラ同然のその日暮らしをしていたころ、ネズミやゴキブリが沸かないためにと頼まれて、笹塚の元バドミントン工場跡地にタダで住み込むようになる。
1984年のクリスマスイブ、バドミントンに使っていた羽根を床にばらまいてパーティーをひらく。ブレーカーズをやめようとしていたマーシーからバンドを組むことを提案される。酔っていた甲本は適当に承諾する。すぐにマーシーも工場跡地に引っ越してくる。
やる気が出ずにテレビとお菓子に耽溺する甲本
(……)ある日午後4時になってミーティングをしようと真島が告げると、「ちょっと待って、これから「ばってんロボ丸」がはじまるから」とごろりと寝転がったまま言う。真島はついに怒りを爆発させて、
「だめだァ! だめだめ。こんなもんがあるからいけないんだ!」
憤然とテレビのスイッチを切り、コンセントを引き抜いてテレビを抱えあげると、隣の部屋に持ち去った。「そのときですよね。ああ、友だちをこんなに悲しい気持ちにさせちゃいけないとおもって。それからすぐに曲をふたつつくったの。できましたァって、マーシーにもってった」
『リンダリンダ』と『ブルーハーツのテーマ』
「友だちをこんなに悲しい気持ちにさせちゃいけない」
それぞれの詩にたいする文学批評的な読解:
『レストラン』の奇妙さがちゃんと論じられていて、あの詩が異様に心に残るのは私だけではなかったのかと思った。ずっと気にかかっていた。ファミレスで“冷やっこ”を注文するつつましさ……
『パンク・ロック』の歌詞はまるで英国の階級社会の下層から生まれた punk rock ではないが、確かにパンクスの弱者を内包する思想が「優しい」ということを論じている。
以下孫引き:北中正和「DISCOVER JAPAN 第12回」、『FM fan』二〇〇一年五月二十八日号、共同通信社、五三頁
パンク・ロックの形骸化が進んだ80年代
四分音符の連続するメロディに一音ずつていねいに言葉をのせていく甲本ヒロトの童謡のようなボーカルにも驚いた。彼の音には、70年代にはっぴいえんどから矢沢永吉やサザンオールスターズまでが悪戦苦闘してきたロック・ボーカルの流れとはいったい何だったんだろうと、あらためて考えさせられたりもした。
ブルーハーツはポジティブなのでジャンルの「パンクス」ではないという指摘。
『俺は俺の死を死にたい』→ レヴィナスにつながる。
1. 自分自身は死ぬときに「俺の死」を体験できないという問題。
2. 虐殺された者たち、顔もわからない状態の死者たちは(尊厳ある)「俺の死」を死ねない。
反戦のメッセージ(ポーズ)というよりは、自然体として自分の人生のなかで地続きに「戦争は嫌だなあ」的な立場にたっていた。
レヴィナスはユダヤ人で、親族はみなホロコーストで死亡している。それについてレヴィナスは緘黙している。
広島の隣県である岡山出身の甲本は原爆を強く意識していたのではないか、という推測。
ブルーハーツの結成から解散に並行する歴史はページ: 平成 にまとめた。 マーシーについて
マーシーの出身が三多摩エリアであること。70年代あたりから、立川・福生のエリアはアメリカのムードを求めてミュージシャン・アーティストが多く移住したようだ。→村上龍『限りなく透明に近いブルー』
甲本ヒロトについて
孤独と、友愛(友だち)または、プラトニックでひたすらに相手の幸せを祈っているだけの、勇気のない恋。『少年の歌』『ラブレター』など。
バンドの解散について:
やりきったから、今後の活動が今までの変奏に過ぎなくなるから。
窮屈さを感じてきた(p.218)
ベース・河口純之助が幸福の科学に傾倒し、スタッフやファンに大川隆法の書籍を配布していた。という事実はある。
ブルーハーツ解散の年(1995)、地下鉄サリン事件など、カルト宗教による社会混乱。
偶然の符合・あるいは繰り返す歴史:
昭和天皇崩御のとき、テレビは天皇の体調を日々伝え、バラエティ番組は自粛される「自粛ムード」に満ちていた。
その「自粛ムード」は本書の書かれた2020年・新型コロナウイルス肺炎の大流行時の世相とオーバーラップする。
いや、自粛っていうか、感染症拡大防止のためにマスクなどの措置は要ると思うけど。体感的に近いのは東日本大震災時の「自粛」ムードだろうか。
さらに年号が平成→令和にかわった2024年現在に読むと、自粛ムードとカルト宗教の旧統一教会(家庭連合)による社会不安を重ねてしまう。
歴史は繰り返すのか、あるいは、無意味な自粛ムードとカルトという、ひとの発明した毒は、いつでも社会をのっとってやろうと機を伺っているのか。
作品との関係:
創作バンドはすくなくともすべて影響下にある。バンドブームのあとの世代、1997年の黄金期(のダークサイド/狂気)。