間主観性
一見難しそうに聞こえるが、それほど難しくない言葉。 ある事柄が間主観的であるとは、 二人以上の人間(人間でなくてもよいが)において同意が成り立っていることを指す。 この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。 たとえば、 世界中の人々が何が美しいかに同意していても、 美の基準が客観的かどうかはわからない。 なぜなら、 ひょっとすると何が美しいかは人間本性に依存しており、 地球人にとっての美と火星人にとっての美とは異なるかもしれないから。 そこでこの場合、 美は人間にとって間主観的ではあるが客観的とは限らない、ということになる。 色なんかも同様(一次性質と二次性質も参照せよ)。
17/Jan/2002
現象学派の哲学者たちは、自己意識(われ思う)の直証的確実性から出発するとき、自我と等しい権利をもつ主観性である他我との共同、つまり間主観性、およびそれをよりどころとする対象世界の客観的・公共的な把握はいかにして基礎づけられるかという問題に腐心した。フッサールの他我論は「類比による統覚」とよばれるもので、他の身体=物体が私の身体(これは単に物体ではない)と「対(つい)」を組み、そのことによって他の身体=物体に他我の身体という「意味の転移」が成就(じょうじゅ)すると説く。ただし、「類比による統覚」は単なる類推作用ではなく、「間接現前」とよばれる一種の現前であるとされる。なお、問題場面は異なるが、ヘーゲルの『精神現象学』にすでに、「われわれである自我、自我であるわれわれ」という共同性の観点が提出されているのは、特筆大書に値する。 むずかしいな~