絵描きとプログラマでAIの受け止められ方に違いがある
しかし、2つの受け止められ方がかなり違う
Github Copilot
権利関係で業務に使わないというのはある
自分は Copilot が生成したコード片をプロダクションコードに含めるのは権利関係の問題もあり様子見している
しかし Copilot を使っていないわけではなく、変数名や定型作業のサジェストや変数名の補完、コードの書き出しの補助などで利用している
実際に権利関係で揉めているものもある
Copilotはオープンになっているソースコードを対象としている
オープンソースライセンスのものはライセンスの規定に従う必要がある
ライセンス関係で揉めるが、Github Copilotの可能性自体にネガティブな意見はそこまで大きくない印象
mtane0412.iconの観測範囲の問題でおそらく探せばあるだろうが、クリスタに寄せられたような意見の強さまで到達するか?
クリスタに寄せられた「ユーザーの声」
現状の方式の画像生成AIが、著作権を侵害していなくとも、誰かの著作物を利用して画像が生成されており、その由来が不明であるアプリは使いたくない。
アーティストの為のツールを名乗っているが、画像生成AI機能はむしろアーティストを苦境に追い込み、その活動を阻害する。
なぜだろう
倫理的に問題がない方法で収集されたデータを利用していないのであれば、使えない。
実は法的には問題がないので「倫理的」
AI利用で遅れをとらないように先んじて法整備されていた
実際にはユーザーによって結局この分野でも負けてしまう
CLIP STUDIO PAINTを使っただけで、画像生成AIで作ったと疑われてしまう。
なぜ要望が多い機能の改善に取り組まずに、問題視されている機能を追加するのか理解できない。
信用できない機能が搭載されている道具は、創作のパートナーとして受け入れられない。
他者の権利が侵害される可能性のある画像が生成され得る機能を提供しておいて、そうならないよう自身で気をつけてほしい、というセルシスのスタンスは無責任だ。
この視点はありそう
プログラムのコード
文法が定まっている
既存の命令の組み合わせで表現する
イラスト
一見すると自由に見える
実際には画材・キャンバス・技法などが定まっている点ではコードと同じ
既存の表現の組み合わせで表現する
どちらも「自分が書いたコード」「自分が描いたイラスト」と言える
プログラムのコードは決まった文法で表現された命令の組み合わせにオリジナリティがあることを意識しやすい
イラストは一見すると自由なので「自分が無から生み出した」オリジナリティの錯誤に陥りやすい
実際には様々な作品から見て学び、描いて学び、発表して学んだ技術の結集
AIとの共同作業
Copilotは「AIとペアプログラミングする」というわかりやすさがある
「自分が書いたコードです」はちょっと違う感じがある
ペアプロの成果を自分一人のものと主張しているように見える
mtane0412.icon「Copilotのコードをレビューしてマージしました」という感覚
自分のイラスト作品の中に他人(AI)の絵が入る
「自分のイラストです」は強く違和感がある
なるほど、AIと共同作業した段階でイラストレーターではなく作画監督みたいな感じになるのかな
プログラマにとって「一つの作品に自分以外の複数人の作者の貢献が混ざってる」という状態はまったく珍しくない、ってことが関係してるんじゃないかな?nishio.icon
確かにmtane0412.icon
mtane0412.iconは一人で作っているものばかりだが、ライブラリを利用しないことはありえない
絵描きはブラシセットには抵抗がないのだろうか?
雲や星空などを簡単に描ける便利な機能
他にも便利な機能がたくさん
https://www.clipstudio.net/view/img/news/20221013/01/Automatic_shading_tool_1011.mp4
これとかがOKでAIがダメなのが面白い
やはり権利関係に強い抵抗感がありそう
絵描きは権利関係にかなりセンシティブ
二次創作はまさにグレーゾーンで行われている
微妙な綱渡りで文化を育んできた
日本にはフェアユース規定がない
mtane0412.iconが子どものときに大人になる頃にはさすがに導入されてるんだろうなと楽観視していた
著作権の理解の解像度
「著作権法違反」という言い回しを未だに見る
音楽家はどうか?
Remixという文化がある
創造の本質
実際にリリースするには権利関係をクリアにしているようだ