知識社会
Cultural diversity
Equal access to education
教育への平等なアクセス
Universal access to information (in the public domain)
(パブリックドメインにおける)情報の普遍的なアクセス
Freedom of expression
the information alone does not create knowledge. For knowledge creation to take place, reflection is required to create awareness, meaning and understanding.
ドラッカーは『断絶の時代』(1969年)で、「資本主義を超えたところに何がありうるのか」を世に先んじて示した。この書が世に出て数年後、世界はオイルショックに見舞われ、先進国の成長に強力なブレーキがかかる。物質文明の行き詰まりが頂点に達するのを予示するように、『断絶の時代』は発表された。 脱資本主義化する世界の中心コンセプトとして、ドラッカーは「知識」を挙げた。知識が社会の中心を占める社会である。そこには、経済至上主義を批判し続けたドラッカーの思いが込められている。中心は「金」ではなく、「知識」である。 しかも、これから「知識社会」がやってくるのではない。人々が気づいていないだけで、世界はとっくに「知識社会」のなかにいるのだと強調した。
彼はそれを「成果を生むための手段」と見る。頭の中で考えるだけのものではない。見て、感じ取り、現実に働きかけるものである。体系化された技能と同義である。 しかし、今日必要とされる知識とは、まさに行動のための知識である。しかも客観的で伝達可能な、体系化されたものでなければならない。
知識は他の知識と結合したとき、爆発的な力を発揮する。 知識社会では、知識が組織によって活用されることで、社会的な意味を獲得する。専門知識を有機的に連携させる場、結合させる場が、組織である。組織とは、知識の培養器である。 また組織とは、人が目標に向かってともに働く場と、それに伴うつながりの全体を指す。「組織」というより、「ネットワーク」と読んだほうがふさわしいこともある。 1960年代あたりまでは、知識の専門化は部分的にしか進んでいなかった。戦前戦後の先進国の経済にあって、成長とは工業化を意味した。人々が従事する仕事の多くは単純肉体労働であり、同じことを継続的に行うことが何よりも重視された。大規模な生産システムを構築し、それを継続しさえすれば、工業を中心とする社会は半ば自動的に成長軌道に乗ることができた。 だが、工業化には自ずと限界がある。工業は投入する資源価格の影響を受ける。また、商品が社会の隅々にまで行き渡ると、やがて消費も飽和点を迎える。さらには1972年にローマクラブのレポート『成長の限界』が示したように、環境問題という制約が顕在化する。やがては物質文明のピークに時代は逢着することになった。 現代の組織は知識の専門家による組織。したがって同等の者による組織。いかなる知識も、他の知識より上位にあることはない -- P.76 いかなる分野においても4~5年おきに新しい知識を仕入れなければならない。さもなくば時代遅れとなる -- P.78
知識労働者は監督され得ない。むしろ自らの専門について自分より詳しく知るものが存在するようではあらゆる意味で無益な存在 -- P.87