生気論
生命論において機械論と対立する立場で、生命には無機物質を支配している機械論的原理とは別種の原理が働いているとする見解をさす。 生気論と似た概念として、物活論、有機体論、全体論がある。それらはいずれも機械論と対立し、生命固有の原理の意義を強調する点で共通しているが、物活論や有機体論は、主として無生物を含めた自然界全体を生命あるものとして把握する立場を表すのに用いられる。原始人の物活論的思考とか、東洋の伝統的な有機体的自然観というのがその例である。 それに対して、生気論と全体論は、近代科学の成立以降、無機物質に対する機械論的法則の支配が認められるようになった後で、生物の特異性を強調する場合に主として用いられる。 生気論が生物の身体の構成単位において独自の原理の存在を主張するのに対し、全体論は構成単位の次元では独自の原理を認めないが、それらが生物を構成すると、個々の要素に還元できない特性が生じるとする。しかし、生気論と全体論の違いはかならずしも明確ではない。[横山輝雄]
生命現象には物理学及び化学の法則だけでは説明できない独特の原理があるとする説。
生命現象の合目的性を認め、その合目的性は有機的過程それ自体に特異な自律性の結果であるとする説。
などを指す。
科学史的に見て、重要な論・立場である。一般的には機械論と対立してきたとされている。非生物と比較して、動植物などの生命だけに特有な力を 認める/認めない という点での対立である。 現代生物学は基本的に唯物論的・機械論的な立場を採用しており、生気論は認められていない。 現代の科学者はしばしば「過去の誤った理論」などと見なしている。 ただし、一見すると生気論は古い考え方と思われがちだが、生命を情報という観点からとらえる現代生物学は、むしろこの生気論に近い考え方になってきているとも言えると指摘されている。