環世界
すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。 マダニというダニの一種には視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれている。この生き物は森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の匂いによって感知される。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温を感じ取り、温度の方向に身を投じる。うまく相手の体表に着地できたら手探りで毛の少ない皮膚を探り当て、生き血というごちそうにありつく。この生き物にとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできているわけである。しかし血を提供する動物は、ダニの下をそう頻繁に通りがかるわけではない。マダニは長期にわたって絶食したままエサを待ち続ける必要がある。ある研究所ではダニが18年間絶食しながら生きていたという記録がある。 https://gyazo.com/b023d3a79cf921e689d2a41e1f3ba7a2
ニワトリという動物は変な動物でしてヒナを連れて歩いておりますが、ちょっとイタズラをしてヒナの足を括って棒に止め付けると、このヒナは動けませんから嫌がって鳴きます。そのヒナの声がすると、母鶏の方はヒナが全く見えなくても、びっくりしてヒナを一生懸命探し、ヒナの所までやって来て、なんとかしてヒナの足を自由にしようとします。ニワトリにしてみたら、自分のヒナが苦しんでいる訳ですから、それはとても大変なことなのです。 ところが、同じようにヒナを杭に縛りつけるのですが、今度はもがいているヒナの上に丸いガラスの蓋をスポッとかぶせてしまいます。(図―7)そうすると、ヒナの鳴き声は外に漏れません。母鶏はその近くにいてガラス蓋の中のヒナの姿を見ているのです。バタバタもがいているヒナの姿が見えているはずなんですが、ヒナの鳴き声がしないので、そのヒナは母鶏にとっては何の意味も持たない。そこで、母鶏はそのヒナの前で平気でエサをつついています。助けようなどとは一切しません。こういう変なことになるのです。
刺激とは、主体により知覚されるべきもの(解釈されるべきもの)であり、対象には現れないものである。 主体が知覚するすべての物がその知覚世界となり、主体が行う作用のすべてがその作用世界となる。知覚世界と作用世界が共同で一つのまとまりある統一体、つまり環境世界を作り上げるのである。 https://gyazo.com/be51e1dd04ad1fecbf697c0567923cb8