意味論
文字どおりにとれば、ことばとその意味との関係を論ずる分野ということになり、言語学には、この性格づけに応ずる部門がある。哲学でも、この関係は昔から大きな問題だったので、これを論ずるという意味での意味論的な哲学は、いくつもあげることができる。しかし、ここでは、一時、分析哲学のほうで使われた特別な性格づけに従って意味論を紹介する。わが国では、哲学での意味論というと、この性格づけによるものとされることが多いからである。 1920年代、数学者ヒルベルトは、集合論の公理群が矛盾を含むかどうかを調べるために、理論を論理記号を用いて完全に形式化したうえで、記号が何を指示しているかを問わず、論証を記号配列の変形過程としてとらえることにより、まったく形式的に理論の構造を分析する方法を提唱した。この方法が哲学においても意外に有用であることを見抜いたのが、ウィーン学団の指導的哲学者カルナップで、この方法により展開される哲学の分野を「論理的構文論」(シンタックス)とよんだ。そうして、古来の哲学的な問題の多くが、この構文論のなかで記述され、また解明されると主張し、多くの論理実証主義者に感銘を与えた。 しかし、やがてカルナップは、構文論だけでは哲学の問題を解くのに不十分であると感ずるようになり、1940年前後から、言語とこれによって指示される事態との関係を論ずる分野の重要性を説き、これに「論理的意味論」(セマンティクス)の名を与えるようになった。この際、論理学者タルスキーの影響を強く受けているといっていることからも察せられるように、これは、論理学のほうでの、形式化された理論とそのモデルとの関係を集合論を使って調べる方法に示唆を得、これを哲学のほうに導入しようとしたものとみることができる。この方法により展開される論理学の分野を現在では「モデル理論」とよんでいるが、これも一時は、カルナップのことば遣いの影響を受けて「意味論」とよばれていたことがある。現在、論理学のモデル理論はなお大きな勢いで発展しているが、カルナップの意味論はその後、大きな体系とはならなかった。しかし、分析哲学は、一時、言語内部に立てこもり、言語の表現する事態に踏み込むことには臆病だったのに、また改めて言語の指示の問題に目を向けさせたという点で、カルナップによる意味論の提唱には、当時にはそれなりの意義があったとみるべきであろう。[吉田夏彦]