序章(人が自分をだます理由)
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部屋のなかのゾウ
名詞。認めたくない、話したくない重要な問題。社会的なタブー
脳のなかのゾウ
名詞。重要だけれども知られていない心の働き。内省的なタブー
ロビンが発見した矛盾するデータ
先進国の人々は、診療、薬、検査など、健康を保つために必要な分量をはるかに超えて、あまりにも多くの医療費を浸かっている
たとえば大規模な無作為の調査によれば、助成によって医療が全額無料になった人々は、そうでない人々と比べて格段に多くの医療行為を受けたにもかかわらず、目に見えて健康にはならない
一方で、ストレスを軽減したり、食事、運動、睡眠、大気の質を改善する試みのような医療以外の介入の方が明らかに健康に大きな影響を与えているにもかかわらず、患者も政策立案者もそれを実行することにあまり前向きではない
患者はまた、よい医療サービスに見えるものに満足してしまい、その外見の下を掘り下げることたとえばセカンドオピニオンを得たり、医師や病院似結果の統計的な数字を尋ねることにはあきれるほど興味を示さない
ある驚くべき研究では、危険な心臓手術を受けようとしている患者のうちわずか8%しか、その手術における近隣病院ごとの死亡率を知るための50ドルを払おうとしなかった
最後に、たいていの場合、費用のかからない緩和ケアでも同じくらい延命効果があり、むしろ生活の質を維持するためにはそのほうがよいにもかかわらず、人々は大げさな延命治療に法外な金額を払う
ロビンは医療を買うのとは別の動機があり、その動機はほとんど無意識のなかにあるのではないかと考えた 幼児がつまずいてひざをすりむくと、母親がかかんで傷におまじないをする
どちらもその儀式を大事にする
このささいで単純な例からは、たとえ医療として有効ではない場合でも、わたしたちはヘルスケアを求め、また与えるよう、プログラムされている可能性がみて取れる
ロビンは現代医療制度にも同じような相互関係が隠れているけれども、実際に病気が治ってしまうのでそれに気づかないという仮説を立てた
言い換えれば、高額医療サービスは確かに病気を治すが、同時にそれは精巧に作り上げられた「痛いの痛いの飛んでいけ」の大人版だということである
患者は社会的な支援に安心し、支援を与える側は患者に若干の忠誠心を期待する
支援側に立つのは医師だけでなく、治るまでの道のりで患者を助けるすべての人
そうした関係者それぞれが、支援と引き換えにいくばくかの忠誠心を望んでいる
つまり、医療は健康のためのものだけではなく、「衒示的ケア」つまり見せびらかしのケア行為なのである 今ここで重要なのは、著者が提案している説明の感触を得ること
第一に、人間の主な行動はしばしば複数の動機に基づいている
第二に、そうした動機の一部は無意識の中にある
そして、動機は心の片隅で目立たないように走り回っているネズミのような小さなものではなく、国の経済データに足跡を残すほど大きなゾウサイズの動機なのである
かくして、医療はロビンが初めて見た脳の中のゾウだった
一方、もうひとりの著者ケヴィンはシリコンバレーにあるソフトウェアの新興企業で初めてそれを目にした
ケヴィンは当初、起業は会社を立ち上げるというシンプルな行為だと考えていた
人を集め、考える時間を与え、話し合い、プログラムを書く→役立つソフトウェアが生まれる
チンパンジー社会の分析に用いられるのと同じ概念で人間社会を分析した書籍 ボームの本を読んでから、ケヴィンには周囲の環境がまったく違って見えるようになった
まもなく、ソフトウェアエンジニアでいっぱいのオフィスは、ちかちかする蛍光灯の下で甲高い超えで鳴く霊長類の群れに変わった 全員参加の会議、同僚との食事、チームでの外出は、手の混んだ社会的グルーミングの時間になった 面接は群れに入るための見え透いた儀式のように見え始めた
しかしながら、ボームの本からの最大の発見は社会的地位に関わるもの 霊長類であるオフィスの労働者は、社会階層における自分の地位を守ったり上げたりするために、優位性をひけらかしたり、なわばり争いをしたり、面と向かって衝突したりしながら絶えずチャンスをうかがっている
興味深いのは、いかに人々が、客観的なビジネス用語でそうした社会競争すべてを飾り立て、わかりにくくしているのかということ
たとえばリチャードはカレンが「足手まとい」だと文句を言うのではなく、「顧客のことを十分に考えていない」と避難する
社会的地位などタブーになっている話題は公には議論されず「経験」や「先輩」などと遠回しにそれとなく語られる
要するに、人々は大抵の場合、社会的地位を最大に高めるという観点からものごとを考えたり語ったりしない
しかしながら、わたしたちはみな本能的にそうやって行動している
実際、人間は表立って、また自分自身にさえ気づかせることなく、じつに巧みにかつ戦略的に自己利益を追い求めながら行動することができる
それほどまで重要な動機をなぜはっきりと自覚していないのだろう?
生物学によれば、わたしたち人間は競争する社会的動物であり、そのような生物に求められるすべての本能を有している そして意識することは有利に働く、だからこそ発達してきた ならば、心の奥底にある生物学的な動機についてもむしろ意識過剰であるほうが理にかなっているのではないだおるか?
わたしたちは自分の精神のなかにあるこうした動機をまったく感知できないわけではない
そこにあることはわかっている
けれどもそれは時分を不安な気持ちにさせる
中核となるアイデア
わたしたち人類は、隠された動機に基づいて行動できるだけでなく、そうするべく設計されている種である
わたしたちの脳は私欲のために行動するよう作られている一方で、他者の前では利己的に見えないように努力する
そして、わたしたちの脳は他者を惑わせるために「自分自身」すなわち意識にさえ真実を明かさない 他者からそれを隠すことが容易になる
本書で検討する論題
したがって、みずからを欺く自己欺瞞は、好ましくない振る舞いをしながら、「よく見せる」ために脳が用いる策略であり戦略 繰り返しになるが、わたしたちは好ましくない動機についてまったく無知ではなく、その逆で多くは見ようとすればすぐに見える
はっきり自覚していることもあれば、まったく気づいていないこともあるだろう
ゆえに比喩としたゾウを選んだ
ゾウは明らかにここにいて、わたしたち自身が意を決してその方向を見れば容易に見える
けれども概してわたしたちはゾウを見て見ぬ振りをし、その結果、ゾウに注意をうながすような行動も意図的に軽くあしらってしまう
人間の行動が見た目通りであることはめったにない
さまざまな時代の思想家が、人間の行動が想定される理由と噛み合わないように見えることを、大なり小なり多くの方法で明らかにして人々を楽しませてきた
「もしその裏に隠された動機が世界に丸見えだったなら」
彼は無意識に隠されているさまざまな仕組みとともに、動機一式をまるまる断定した
しかしながら、本書の説明がときにフロイト主義に見えることがあったとしても、本書は主流の認知心理学にしたがっており、フロイトの殆どの方法や多くの結論を否定する 本書は進化心理学からスタートするがそこで終わりではない
およそ1世紀前の経済および社会学者ソースタイン・ヴェブレンからヒントを得て、さらに大きなレベルの隠された動機を探っていく ヴェブレンは贅沢品の需要を説明するために「衒示的消費」という言葉を生み出したことでよく知られている ヴェブレンによれば、じつは贅沢品の需要は主に社会的な動機に突き動かされている
富を見せびらかすため
最近では、心理学者のジェフリー・ミラーが進化論の観点から同様の主張をしており、本書では彼の研究からも多くを引用する 本書の目的は、人間が無意識に行っている多くの行動を列挙するだけでなく、慈善事業、企業、病院、大学など、重んじられている制度の多くが公式な目的と同時に隠された目的を果たしていることを示すもの
そうした制度について考えるにあたっては、どうしても隠された意図を考慮しなければならない
本書の調査から浮かび上がってくるのは、個人のみならず社会レベルでも戦略的に自分をだます人類の姿
わたしたちの脳が、口説く、社会的地位をうまく手に入れる、私利を図ることに長けている一方で、「自分」はみずからの考えを純粋で高潔なまま保つことができる
「自分」は脳が何を企んでいるかをいつも把握しているわけではないにもかかわらず、しばしば知っているようなふりをする
コラム1「ゾウ」
脳の中のゾウ
一言で述べるならそれは利己、精神の中の自己本位な部分
だが実際にはそれより幅広い
利己は単なる核で、ゾウにはそれ以外の部分がたくさんあり、それらがみな相互につながっている
そこで本書を通して「ゾウ」という言葉は人間の利己のみならず、それに関連した概念全体を表すものとして用いるものとする
人間は競争する社会的動物であり権力、地位、性のために戦っているという事実
人間はときに出し抜くためにうそをつき欺くことを厭わないという事実
人間は動機の一部を隠すという事実
またそうするのは他者を欺くためだという事実
また、ときとして、隠された動機そのものを示す言葉として「ゾウ」を用いることもある
基本的な主張
少なくとも4つの研究分野が同じ結論にたどり着いている
少人数の人々が同時に顔を合わせたときにどのように関わり合うかを調査すると、社会行動の奥深さと複雑さ、そしていかに人々がそこに置きていることを自覚していないかがすぐにわかる
実際にはこうした行動は省みたり、意図的に制御したりすることがほとんどできないため「自分」ではどうにもできないと述べるのが妥当だろう
わたしたちの脳は「自分」の代わりにそうした関わり合いを指揮している
認知バイアス、つまり認知的な偏りと自己欺瞞の研究は近年になって著しく発達してきた 現在、わたしたちの脳はただ不運で奇妙なだけでなく、狡猾であることがわかっている
脳は意図的に情報を隠し、あまり芳しくない目的を覆い隠そうと社会的に受け入れられそうなもっともらしい動機をでっちあげる手助けをしている
トリヴァースによれば「偏ったインプットから、偏った符号化、偽論理に基づく整理、誤った記憶、他者に対する偽りの伝達にいたるあらゆる段階で、本当の自分をよりよく見せようといういつもの目的に有利になるように、精神は絶えず情報の流れを歪める方向に働く。」
つまり、わたしたちは自分で思っているほど自分の精神を理解していないということ
したがって、ヒトの性質はサルの性質の修正版
そして霊長類の群れを調べると、性的誇示、支配と服従、力強さの誇示、政治工作といった多くの策略的な行動があるとわかる
私たちは概して競争する社会的動物に見られるような見せびらかし、あるいは政略だと認めることなど決してない。
経済の疑問
医療、教育、政治、慈善事業、宗教、報道など、特定の社会制度を調べると、掲げられた目標がたびたび達成されていないことに気づく
多くの場合、単純な実行の失敗が原因
しかし、いくつかの例では、制度が、何か別の認識されていない目的を達成するよう作られたかのように働いている
たとえば学校の機能は役に立つ技能と知識を教えることにあると言われている
それにもかかわらず、学生は教えられたことのほとんどを覚えておらず、覚えていることの大半はあまり役に立たない
さらに最高水準の調査によれば、早朝の起床、頻繁な試験など、学校が学習過程を積極的に妨げる作りになっているという
このように大規模な社会の矛盾に焦点をあてるところが、実際、本書の一番の特色である
多くの思想家は個人の生活や行動の状況における自己欺瞞を考察してきた
しかしながら、その支店から制度を研究するという次の論理的段階まで進めた人はほとんどいない
要するに、わたしたちはひとりのときと同じように、公の場では集団で、隠された動機に基づいて行動している
そして隠された動機がうまく噛み合うと、安定して長続きする制度ができあがる
学校、病院、教会、民主主義などは、少なくとも一部の隠された動機に合うよう設計されているのだ
これこそが医療に関するロビンの結論であり、同様の説明は生活の多くの分野にも当てはまる
別の角度から見ると、世界はどちらかと言えば認めたくない動機に基づいて行動する人であふれている
しかし殆どの場合、それに反対する集団がそれはアウトだと積極的に声を上げる
2008年の金融危機でアメリカの銀行家が政府による救済措置を訴えたとき、彼らはそうすることがアメリカ経済全体にとって有益であるとは述べたが、私腹を肥やすことは都合よく無視して語らなかった
同様に、ブッシュ政権時代、アメリカの戦争反対を訴えた抗議者は、戦争は害を及ぼすという観点から自分たちの取り組みを正当化しようとした
それでいてオバマ政権が発足した途端、イラクやアフガニスタンの紛争は衰えることなく続いていたにもかかわらず、抗議の声が急激に弱まった
つまるところ焦点は平和主義ではなく党派の指示だったのである
保守系の批判家はその一貫性のなさを大喜びで指摘した
しかし、隠された動機が部族あるいは党派の目的と一致しない場合はどうなるのだろう?
動機を隠すにあたって全員が共謀するような生活の場面では、誰が注意を呼びかけるのだろう?
本書は、重要な社会制度において、参加しているほぼすべての人が戦略的に自分を欺いているという事実や、市場において買い手も売り手もあるものを売買しているふりをしてひそかに別のものを売買しているという事実など、公の場における、まだ知られていない闇の部分を明るみに出すことも試みる
たとえば芸術の世界は単なる「美の称賛」ではなく、影響力の大きい人と親しくなる口実や性的誇示として機能している
教育は学ぶためのものではなく、その大部分は成績をつけてもらい、順位をつけてもらい、資格を得て、雇用主の承認を得るためにハンコを押して貰うこと
宗教やひとりひとりが神や死後の世界を信じることではなく、集団の結束力を高めるために、あえて目に見えるよう公の場で信仰の宣言をすることである
この路線で考えると、既存の制度の多くはまったく無駄だと思われる
制度は人々が同じ集団内で他者に負けじと出し合うシグナルを燃やすための巨大な無言の炉を隠している
そしておもに見せびらかすためだけに、毎年何兆ドルもの財産、資源、人々の努力がそこに投げ込まれて灰とかしている
現在、わたしたちの制度は確かに公式に述べられている目標の多くを達成しているが、だいたいにおいて十分とは言えない
同時に誰もが認めたくない目的を果たしているから
これは悲観的に聞こえるかもしれないが、実は朗報
制度にどれほど欠陥があろうと、わたしたちはすでにその制度とともに暮らしており、ほとんどの人にとって人生はまずまずだ
したがって、もし制度の足を引っ張っている原因を正確に究明できるなら、最終的にそれを改革して、今よりもさらによい人生を送れるかもしれない
コラム2 わかりやすい言葉で述べる本書のテーマ
1) 人は絶えず他者を評価している
評価するうえで大切なことの一つが動機
2) 他者に評価されていると思うと自分をよく見せたくなる
聞こえのよい動機を協調して、醜いものは控えめに扱う
厳密にはうそをついているのではないが、まったく正直でもない
3) 奇妙なことに、それは言葉だけでなく考えにもあてはまる
自分の考えは自分で思っているほど私的なものではない
いろいろな点で、意識上の考えは自分が他者に言おうとしている考えのリハーサル
トリヴァースいわく、「自分を欺くのは、そのほうが他者をうまく欺けるからである」
4) 生活の一部の分野、とりわけ意見が両極端に分かれやすい政治では、だれかの動機が口で言っているより利己的だとすぐにそれが指摘される
しかし医療などの分野では、ほぼだれもが美しい動機に基づいていると考えがち
その場合、何が行動を促しているのかについて、全員がそろってまったく間違っている可能性がある
本書の流れ
第一部「なぜ動機を隠すのか」
いかに社会生活の動機づけがわたしたちの心を歪め、自己欺瞞による厄介な歪曲を引き起こすのかを探る
マタイによる福音書七章三節「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気が付かないのか」
本書のたとえで言えば「あなたは、兄弟の心にあるネズミは見えるのに、なぜ自分の心のなかにあるゾウに気づかないのか」
第一部の目的は可能な限り正面からゾウと対峙すること
第二部「日常生活のなかの隠れた動機」
ゾウの新たな理解をもとに、小さな個人規模のものから広範な制度まで、幅広く人間の行動を解体する
その結果わかるのは、ものごとはしばしば表に見えているとおりではないということ
注意書き
なぜいくつかの考え方がほかのものよりも自然に拡散していくか
理論が利他主義や協力など気分がよくなるような動機を協調している場合、人は自然にそれを分かち合いたくなる
競争などの醜い動機が強調される考え方の場合、人々がシェアしたくないと思うのも無理はない
そのような発想は部屋からエネルギーを奪い取る
その観点から、本書の原点を念押ししておくことは重要
皮肉と人間不信の違いは曖昧であることが多い
人間の動機を悪く言うことと人間を悪く言うこと
著者はたんにあまり注目を浴びていない人間の性質を少し時間をかけて考えているだけである
自分が何をしようとしているのかなど知らないほうがいいかもしれないと述べることには一理ある
けれどもこの選択は、マトリックスのなかでモーフィアスがネオに選択を迫ったシーンのようなものだと考えられる