原人
原人(げんじん)とは - コトバンク
人類進化を4段階に分けた場合、猿人に続く第二の段階に位置するものをいう。
1891、92年E・デュボアにより中部ジャワのトリニールで発見されたピテカントロプス・エレクトゥス(ジャワ原人)と、1930年代に北京(ペキン)郊外周口店より多数発見されたシナントロプス・ペキネンシス(北京原人)が双璧(そうへき)であり、これに1954、55年にアルジェリアのテルニフィーヌから出土したアトラントロプスが加わり、また1907年にすでに発見されながら所属不明とされていたハイデルベルク人などがある。
これら原人段階の人類は、1960年代以降、ホモ・エレクトゥス(「直立人猿」の意)とよばれるようになった。今日ではさらにアフリカ、アジア、ヨーロッパからかなりの数の原人化石の発見がなされている。
また、ジャワ原人の学名であるピテカントロプスとは「猿人」の意であり、かつては猿人と原人は同義語として用いられた。しかし今日では、アウストラロピテクス類などを猿人とよぶ。
形態的特徴
原人の頭骨は、脳頭蓋(とうがい)が低く、前後方向に長い(長頭)。
頭蓋容積は850~1200ミリリットル、平均1100ミリリットルで、現生人類の3分の2ないし4分の3である。
額の発達が悪く、著しく後方に傾斜しているが、眉(まゆ)の部分はひさし状に突出し、発達した眼窩上隆起を形成している。
頭骨を上からみると後眼窩狭窄が認められる。このため、そしゃく時の衝撃が顔面頭蓋にとどまり、脳頭蓋には伝わりにくかったと考えられる。
後頭部には横後頭隆起が顕著である。顔面部は上下顎骨(がくこつ)が発達しているため、突顎をなす。
歯は猿人に比べればはるかに小さいが、現生人類よりは大きい。第三大臼歯(きゅうし)は他の2本の大臼歯よりやや小さい程度である。
大腿(だいたい)骨は外形的には現生人類とほとんど区別できず、原人がすでに直立二足歩行を効率的に行ったことを示す。頭骨が厚く、四肢骨の緻密(ちみつ)質が厚いなど、骨が頑丈であったことがわかる。
文化と生息年代
多くの場合、原人の化石は文化遺物を伴わないが、周口店遺跡は優れた文化遺物と、火を使用した痕跡(こんせき)である多量の灰と炭を残している。また人骨とは別に明らかに原人の手になる遺跡が旧世界各地で発見されている。
原人の石器文化は2種類に分けられる。
一つは握斧(あくふ)(ハンド・アックス)を中心とするアシュール文化であり、西アジア、ヨーロッパ、アフリカにわたって広がっている。
いま一つは、石の一端に鋭い刃を残すチョッパー・チョッピング文化であり、これは東アジアに分布する。
彼らは、野生植物の種子や根茎、堅果を採集し、小動物をとらえるとともに、大形動物の狩猟を行ったと考えられている。とくに後者は共同作業を必要としたであろうことから、それを可能にしたものとして、ごく原始的ながら言語が使用されたと考えられている。
また火の使用によって、原人は、寒い冬をもつ温帯地方にまで分布するようになったと想定されている。
原人は、時代的には第四紀更新世前期から中期にわたって生息した。その年代については、アジアでは約100万~20万年前と考えられていたが、近来、東アフリカのオルドワイやトゥルカナ湖東岸からアジアの原人に似た化石が発見されているところから、約180万年前に出現し、以後アジアやヨーロッパへ進出したのではないかと考えられている。そのため、従来のホモ・エレクトゥスと区別してアフリカの原人をホモ・エルガステル、ヨーロッパの原人をホモ・ハイデルベルゲンシスとよぶ傾向がある。