エミール・デュルケーム
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フランスの社会学者。4月15日東フランス、ロレーヌ地方のエピナルに生まれる。1882年エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)を卒業。ボルドー大学、ついでパリ大学の教授を務めた。
社会学の固有の方法の確立に努め、それに基づき分業、自殺、家族、国家、法、社会主義など当時の西欧社会の諸問題の研究や、社会生活の原型を求めての未開の宗教の考察などに取り組み、豊かな成果をあげた。また『社会学年報』(1898~1913)を創刊、主宰し、デュルケーム学派の名でよばれる多数の社会学者グループを指導し、その後の社会学の展開に大きな影響を及ぼした。おもな著書としては『社会分業論』(1893)、『社会学的方法の規準』(1895)、『自殺論』(1897)、『宗教生活の原初形態』(1912)などがある。 哲学的思弁からも、個人主義的、心理的説明方法からも独立した、独自の社会的事実の科学としての社会学の確立を企図した。
社会的事実を個人の心意には還元できない一種独特の実在としてとらえ、これを「事物のように」客観的に考察し、その発生や展開を社会的諸環境と関連づけて説明することが、彼の定式化した方法の中心的原理である。
以上の方法がさまざまな研究対象に適用され、分業については、その発展が人口増大をはじめとする社会形態の変化によって説明され、自殺については、各社会の示す自殺率の変動が社会経済的ならびに道徳的環境の影響によって説明されている。
とくに彼の自殺研究は、データとしてヨーロッパ各国の統計を大規模に用いており、経験的な社会学研究の古典、雛型(ひながた)として評価されている。また、晩年に努力を傾注した宗教研究は、宗教の社会事象としての性格をオーストラリア先住民のトーテム信仰に即して明らかにしたもので、後の宗教社会学の発展に大きな寄与をなした。 しかし、これらの研究は方法的関心のみによって導かれているのではなく、急激かつ無規制的な当時の産業化の引き起こした社会変動に対する危機認識にも基づいている。
分業の無規制の結果である社会的連帯の崩壊、社会からの個人の孤立化と功利主義の蔓延(まんえん)、欲求の異常肥大と自殺の増大などが、そのような視角からとらえられている。 これらの問題状況をアノミー(無規範、無規制)という独自の概念をもって把握し、診断し、あわせてその解決のための方途を追究したところに彼の社会学的思考の実践的性格があることも無視されてはならない。 1917年11月15日パリで死去した。
参照