〈コラム〉かわいいと建築
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a. 控えめなかわいいを受け入れつつある建築業界
1) 文理混在の建築学
建築学は日本では一般的に工学系に属するが、欧米では芸術系とされることも多い 工学が基本的に産業革命以降に発展したのに対し、建築学は古来から「歴史・意匠」という芸術・文化的分野が確立していたから 大ざっぱんに言うと欧州では中性まで、建築という技術はもっぱら神のために使われてきたが、神に好みは聞けないので神話や教典などからふさわしい建築を考えねばならない
そのために歴史・意匠学が発達した
さらに建築には工学的技術や歴史・文化の人文学的視点だけでなく、経済や法律などの実務的視点、コミュニティやライフスタイルなどの心理・社会学的視点など多様な知見が必要であり、「理系の中の教養学」と評されることもある
2) 建築とかわいいの関わり
関わり方は大きく二つ
建築の他にかわいい対象物があるときに、その場を作る役目
建築をかわいい対象としたり、かわいい側に寄せた地にするのは、装飾的で華美を好む人が多いインテリアデザイナー、かわいいを表さずに背景に徹するのはシンプル・シャープを好む建築家に多いと思う
場の意味から考える
店舗などの一部の用途では人目を引くことが喜ばれ、非日常的な"ハレ"の場に個性的で尖ったデザインが好まれるので、ポップで耽美ないわゆるkawaiiが選択肢となる 他方、建築物のうち多数を占める住居やオフィスなどの日常的な"ケ"の場や、公共性の高い場所では、何にでも誰にでも合わせやすいシンプルなデザインがよく用いられるが、これは「モダニズム」という様式の影響を強く受けている 3) モダニズムはかわいいが嫌い?
神仏や特権階級のために金と時間をかけて飾り立てた近代以前の様式建築に対して、近代以降の大衆向けに早く安く大量に製品を供給するのに見合ったデザイン様式
装飾を排しシンプルに作る合理性に価値と美を見出す
同時に鉄筋コンクリート・鉄骨・ガラスなどの工業材料の出現が、建築の建て方や表情を大きく変えたことも影響している
以降、資本主義社会において経済合理性の高い選択肢としてモダニズムは認められ、現在でも建築デザインの主流となっている
さらにモダニズムでは、不要な装飾の排除だけでなく、同じ部材の反復や、継ぎ目などの線を1本でも減らす
太い線は補足するというような抽象的でストイックにシンプルさを追求する表現も出てきた
そうなるともはや機能性や経済性よりビイ意識が優先され、部屋の大きさや扉のデザインなどは機能無関係に標準化され、角の丸みは線をぼかすということで避けられ、痛いくらいのピン角が好まれる
しかしこれらミニマルデザインは、一般の人々には人間味のない退屈な空間と評価されがちでもある
このことは、日本が早くからモダニズム的な美に到達していたという誇りを生み、日本人建築関係者のモダニズムに対する執着につながっている
そのようなモダニスト達にはかわいいの装飾的な文脈は、そこに感じられる幼児性や商業主義的な俗っぽさから、論評に値しないものとして、意識的に避けられてきた感がある
4) 建築界に現れてきたかわいい
2000年頃から潮目が変わった
真壁智治氏によると、若者を中心に建築を語るときに「かわいい」を使うことが多くなったという 理由として彼は、女子学生の増加をあげている
かわいいは良い悪い・好き嫌いと同じ最上位の評価概念にもかかわらず、そう表する理由は「なんとなく…」ということが多く、それ以上追求できない
かわいいは、理由や思想が曖昧なままで共感する仲間を確認する
曖昧な日本社会の中の特に女性的なグループには大変便利な言葉として機能している
しかし、哲学的・科学的に建築論理をストイックに追求してきた先輩たちにとっては、たいへん困惑したようである
真壁氏は、従来の理性による合意形成型コミュニケーションに対して、かわいいは完成による感覚共有型だとし、使い手との共感を大事にする新しい建築への認識の仕方だと解釈している
これはものづくりの工学で「感性工学」が始まった流れとよく似ている このように、ストイックなモダニズムが支配していた建築界において、かわいいは一部でアレルギーを示されながらも、無視できない存在になり始めている
ただ建築のかわいいは、ポップで過剰に盛られたkawaiiではなく、モダニズムとも調和する「控えめな」かわいいである
かわいいを工学数r事でそのメカニズムや論理が明らかになれば、建築界にとっても大きく前進できるのではないかと期待している
b. 私たちなりのかわいい論
1) かわいいは平和
古代ギリシャの比例や調和の美的感覚、キリスト教などの一神教的思想、封建主義的社会などを背景にした欧米前近代のデザインは、唯一完璧な存在を目指す思想だった
近代以降のモダニズムも、同一製品大量生産による生活向上という単一の価値観に基づいていて、建築や都市の巨大化は富と権威と技術を誇示する競争の産物である
一方、かわいいは、未熟な子どもを愛しむ本能にその根元があり、むしろ完璧や一番でないことを評価する
競争の外にあるため、かわいいは平和
見方を変えれば、かわいいは唯一完璧な美に対する「崩し」とも意味づけられる
1980年代のポストモダン運動でも端正なモダニズムを崩すことが試みられたが、歴史的デザインの借用は遊んでいると批判され、壊れたような表現は暴力的と拒否され、頓挫した しかし、かわいいは同じ崩しの技法でありながら、「未熟者のしたことだから仕方ないか」と許される免罪符的な力がある
2) かわいいは人にやさしい
不完全や未熟を尊ぶのがかわいいのベクトルだが、そこには「完璧な人はいない」「人は十人十色で、未熟でもその人らしく頑張っていればいい」というメッセージがある
かわいいは人にやさしい
かわいいには表層的に終わったポストモダンとは一線を画す説得力がある
3) かわいいは人を動かす
かわいいが「かわいがる」という行動を引き起こすこともきわめて興味深い
一方、マズローの5段階も社会性欲求までは受動的でも満たされる可能性があるが、尊厳欲求以上は自らが動かないとゼッタに満足されない
これらのことから、快適性の先の満足には、主体の行動の必要性が予見される
これは経済的成功が得にくい現代の成熟社会において、「新しい公共」の概念とともに、ボランティアや社会貢献に価値を見出す流れにも呼応する
かわいいは人を動かす
それは社会をよくし、より上位の世級の充足に導く可能性を秘めている
4) かわいいが日本発なわけ
曖昧が許されてきた環境のせいだと筆者は考える
曖昧にしていれば勝負に白黒をつけないので争いは酷くなりにくく、個々の違いを明確にせずに多様性が保持される
さらに、多様で優勢なもの以外にも立つ瀬がある状況で、あえてその姿勢を利用する志向が現れたのではないかと思う
敬語の謙譲表現・真行草・本歌取りなど、崩したり控えたりすることで敬意や序列を示す態度がそのよい例
さまざまな控え方・崩し方の試行錯誤の中で、最も効果的な方法が「かわいい」であることに、日本人はたどり着いていたのではないだろうか
5) かわいいの示す兆し
実はブルーノ・タウトにモダニズムを感じ察せた数寄屋建築は、小さい・軽い・か細い・丸い・いびつ、とかわいい特徴もたくさん備え、書院建築を崩した様式
したがって、モダニズム的なのは書院建築で、数寄屋はモダニズム+かわいいといえる
つまり、モダニズムのアンチテーゼとしてのかわいという二項対立ではなく、モダニズムとかわいいは同時に成立可能
一方、装飾著しい日光東照宮でも、三猿の彫刻はユーモラスでかわいく、これも並列可能
つまり、かわいいは形態ではなく、込められた意味と関係すると考えられる
さらに、かわいいは対象を形容する語ではなく、受けての感情を表す語
ならば、受けての感じ方も同様に大事になる
そう考えると、物と人との関係性・親和性を作るプロセスが重要で、形は込めた心が表出した結果にすぎないといえる
フォルムデザインからプロセスデザインへの転換
日本人は、すべてに魂が宿るという信条を通じて、この事物に心を込める行為と、その心を読み取る力に長けている
古谷誠章・新居千秋そして伊藤豊雄まで、作家性の高い建築家たちが、最近ワークショップなどを行って施設と使い手の関係を作り、意見を形に取り入れたかわいい建築を作り始めているのも、その流れを敏感に感じているからに違いない