AI画像生成における努力の否定
「絵師」と表現しているのでプロフェッショナルというより、一般の多くの絵描きに向けられているのだと思うmtane0412.icon だけど、近い表現をより多くの人たちができるようになったことを私は屈辱だとは思わない。習得までの時間や見せられる場が増えたことへの羨ましさはあるけど、そこは本職、自分の表現をより深くするしかない
@Yohen_XR: 技術習得の容易さは時代が影響するけど、私たちメディアアーティストだってその技術を使うことができる。技術は万人にとって平等だとは言えないけど(お金的な意味もあるから)、少なくとも作家にとっては平等。使うも使わないも自由 @Yohen_XR: 気持ちは分かる、そんなに簡単に絵を出せるようになりやがってって。私もp5やMax/MSP、oFで苦労してパッチ作ったりコード書いてたのが、Unityのアセットで解決しちゃうことに脱力感がないわけではない。でもそこは乗り越えなきゃいけないんだと思う。どの時代の作家も同じように悩むだろうね うおお~、便利になったなァ!くらいにしか思わないのはmtane0412.iconがそれでお金を稼いでいるわけではないからだろうか
@Yohen_XR: 苦労が評価されるんじゃなくて、「作品」が評価される。そのことに気がつかないと、作家人生一生憤怒状態で過ごさないといけなくなってしまう。ただ今まではメディアアーティストだけが悩んでいたことを、より多くの人が悩むようになってしまったことは、確かに罪深いことなんだろうと思う プロではない人達も成果を見る必要性が出てきたということかmtane0412.icon
さすがにプロはAI以前から成果を見てるはず…だよね?
@Yohen_XR: 「答えにはなってない」と言ってるのは、パクりうんぬんの部分はそれとは話が少し違うから。 AI画像生成は学習元が既存の作品で、それはヒトが作品を作る際に参照していることと同じなんだけど、「パクってるように見える」構造自体を何とかする必要があるのだろうなと。少なくともコラではない 上で苦労の話が出ている
本質的には同じなのだが、苦労の度合いだけが非対称
@Yohen_XR: AI画像生成によって「苦労込みで評価されるのではなく、作品そのものが評価される」というのは、私も過ちをおかしそうになったことがある。学生さんの手描きアニメーションを評価するとき、「苦労しただろうから高評価をつけよう」と思ってしまうのね。本来はクオリティで判断しなくてはならないのに @Yohen_XR: 単なる感想であれば、「苦労して1枚1枚手描きでがんばったから、他の作品より高評価」って思うのは自由なんだけど、メディアもジャンルもバラバラな作品を評価する際には、それではダメなのよ。学部の授業なら許されるかもしれないけど、卒制では不平等になってしまう @Yohen_XR: 本当に「あなたはどうして表現したいのですか?何を表現したいのですか?」が、AI画像生成によって、趣味で絵を描く人すらも問われたり考えさせられるようになってしまった。それがイヤだという方もいるだろうね… 「ちやほやされたい」を一掃してしまうというか…(誉められたいのは悪いわけではない)
絵を描くには大変なトレーニングが必要
大変であるがゆえに絵はそれだけで評価されがち
過程で評価される
AIによって誰でもそのクオリティに到達できるようになってしまった
表現・成果が評価の対象になる
プロの領域
非プロの絵描きの嫌悪感の源泉
脱線) FF9みを感じるなぁmtane0412.icon 本質的にはヒトも黒魔道士もジェノムも変わらない
どう生きるかが問われている
とはいえ、絵を描くという行為自体は別の価値も得ていると思うmtane0412.icon
AIがあるのに手書きで行っているという価値
人間が描くことそれ自体に価値が出てくる
写真の発明によって、写実主義から方向転換したわけだが、一方で写実的な絵画も評価されてる
@Yohen_XR:AI画像生成における努力の否定に関しては、「手描きアニメーションに対して、それだけの理由であなたは高評価をつけますか?違いますよね、作品自体が良かったかで決めますよね?」って返しがマストなのかなあ。絵を描く人の「気持ち」を考慮しない返答だと @Yohen_XR: 考慮する返答は(本来は考慮すべきなんだろうね)、今のところ思い浮かばないな…「あなたもこの技術を使えるんですよ」とは言えるものの、AIとの共作が作家への評価を下げるという視点に対しては有効ではない…