課題は解決するな
近時、「課題解決」という言葉が霞ヶ関を中心に広く流布している。この日本語は“正しい”だろうか。答えは”否“である。「問題(problem)」は「解決(solve)」することはあるが、「課題(task/assignment)」は「遂行あるいは達成(achievement)」するものであり、少なくとも「解決」することではない。そもそも、ある状況は、関わる立場、経験、問題意識等によって違った”問題“としてとらえられる。つまり、“所与の問題の解決”だけが「問題状況対処」ではないだろう。状況自体を「論点(issue)」として吟味し、それをどのような「問題」としてとらえることが適切かを検討すること。その「問題的状況」に対処するために、その放置・改善・解決・解消等を検討すること。さらに、その「問題的状況」に対応するために、どのような「課題」の設定が適切であるかを吟味すること・・・。本報告では、問題学の観点からこのような「問題解決」にまつわる概念群と方法論について議論、整理する。 課題は解决するものではなく達成するもの
問題解決には最適化・最大化以外にも対処法がある
つまり課題解決が単に言葉の間違いだけでなく、暗にあるべき姿への最大化と捉えてしまっているという問題提起かなmtane0412.icon
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納得感あるmtane0412.icon
そもそも「やめる・しない」が最強のソリューションだったりする
この定義が示す概念は、いくつかの考察を導くであろう。
第一は、この概念(あるいはその背後にあるモデル)が成り立つには、暗黙の世界観の存在がある。
すなわち“そうあるべき状態”ないしは“基準”が既に存在する、という前提である。
しかし、世の中にどれだけ“そうあるべき状態”ないしは“基準”があり、かつ、それらが明示されているだろうか。法律やルールとして示される場合以外、これらは存在しないか、あるいは曖昧なままである。
したがって、世の中には確固たる「問題」は極めて希な存在であるということになる。
第二に、“そうあるべき状態”ないしは“基準”と“実際にそうなってしまった状態”ないしは“現実”との間(以下、これを問題状況と呼ぶ)には、多様な「埋め方」あるいは「対処法」があり得るはずである。
理論的には、6つのモデルが可能であろう。(以下の(1)(2)(3)(6)はラッセル・エイコフの議論を起点にしたものである。問題構造の図解ならびに(4)(5)の議論は筆者のオリジナルである)。
(1)問題状況の放置(absolution):あるべき姿と現実の間を埋めない。すなわち成り行きに任せて、「放置」しておくことである。往々にして我々は、問題状況をそのままにしておき、時間と共に状況が変容していくことに期待をかけるものである。 (2)問題状況の解決(solution):現実をあるべき姿に持って行く。すなわち、最適化あるいは最大化という「解決」を行うことである。これは、特にハードシステム思考ないしは OR やシステムエンジニアリング等の数理的な問題解決を主体とする学問における前提になっている。 (4)問題状況の容認(accept):あるべき姿を現実に合わせてしまうことである。現状を受け入れれば、そこに問題はそもそも生じないだろう。法律違反をなくすために法律自体をなくせ、ということである。 (5)問題状況の妥協(compromise):あるべき姿と現実との双方が歩み寄りをおこなうことである。交渉により、「足して二で割る」といった政治的な駆け引きにも多く見られるものである。」 (6)問題状況の解消(dissolution):「あるべき姿・現実」という問題状況自体を消滅させてしまうことである。通常は、上位システムに遡って、問題状況を生じさせている部分に手をつける(理想化再設計)。その行為自体が次の問題状況を生む場合もないわけでなはいが、少なくとも、あるシステムレイヤーにおいて、該当する問題状況は解消するだろう。 https://gyazo.com/f0ac08f3fc2a1f3195f024d92f01d28a
【タイプ1:キオスク】
売る側も顧客も共通の「問題と解決」を了解していることが前提となっている。顧客が「何々が欲しい」と解決策を提起すればすぐに「はいよ」と欲するものが提示され、問題状況自体が解消されるということになる。
【タイプ2:化粧品売り場】
顧客と販売者は、「問題」の提示者と「問題」の解決者という関係だ
こうしたタイプでは、顧客と販売者の間で「問題」は共有できる。この「解決」で容易に合意が可能となるかどうか、それが解決策を提示する側の力量に依存するところも大きいと言えよう
問題とソリューションが明確ではないがいずれ明らかになるタイプのもの
【タイプ3:人生相談所】
第三のタイプは、顧客も販売者も双方にとって「問題」も「解決」も曖昧である場合だ。
「人生相談所」タイプの関係の中で行われる問題解決は、明快な目標に向かって解決策を提供するという目標追求型(goal seeking)の問題解決ではない。顧客と販売者の双方が探索と学習を繰り返すことを通じて、状況についての共通認識を形成していくのである。 そして、その共通認識した状況に最もふさわしいと思われる問題設定に気づき、そこから状況に対処していくのである。(なお、このタイプは、後述する「探索と学習」と相似である。)教育においては、従来「キオスク型」が主流であり、それが「化粧品売り場」に移行しつつある。しかし、今後求められているのは、まさに「人生相談所」の問題状況対応であろう。
問題とソリューションが明確ではなく、定義によって常に揺れ動き続ける
(1)対処と充填(trouble shooting/gap filling) 先述の問題解決の古典的定義である。これは、与えられた基準あるいはあるべき姿を前提にしている、つまり所与の問題を解くことに他ならない。教育において学生に課すのは、このレベルでの「問題解決」が主であることはいうまでもない。
( 2 )質疑と対話(question and answer) あるべき姿を求める問いと、それに応えようとする「質疑と対話」のモデルである。ここでは、所与の「問題」に唯一の正解を出すというより、むしろ、適切な「設問」を起点とした「対話」によって「気づき、学び、考える」こと、あるいはそれを通じて知を創出していくことに重点がおかれる。いかに豊かで深みのある対話を触発する問い掛けができるかが重要となる。 例えば、ソクラテスの方法論(産婆術)は、対話によって知を産むことを手伝うことが教師の役割であるしたものといえるだろう。ソクラテスは教えず、弟子たちの問答の相手になった。いわば、現代における「学習支援」である。ソクラテスの言う「無知の知」とは、この考え方に通底するものである。彼は対話を通じることで、相手に「気づき、学び、考える」ことを誘導したとも言えるであろう。 ( 3 ) 探索と学習(inquiring and learning) 渾沌とした世界では、何が問題であり、何が解であるかということ自体が不確かである。そこでは、従来の「問題解決」手法によって最適解を求める分析を行なうというタイプの問題解決では意味をなさない。なぜならば、明確な“あるべき姿”や“基準”があるわけでなく、従って“問題”が明確ではないからである。問題や目標がなければ、従来型の“問題解決”を行うことはできない。漠然としたテーマしか見えない渾沌世界では、問題状況が明快に定義できないこと自体が(メタレベルの)問題状況であると言える。 ここでいう学習とは、環境との関わりの中で、自分の考え方や見方を常に創造的に破壊し、新しい考え方や見方に変革していくということである。特に、現代のように、世界が大きく従来パラダイムを変え続ける時代では、この類の問題状況対応が必要となっている。