すべてのデータはうそである
私は「データをして語らしめる」ことが大切だと力説した。 「事実をして語らしめよ」とはのべなかった。それは、事実とデータとは、違うからである。 観察および記録という二重の過程をめぐって、そこに方法手段が介在するからには、誤りは多少ともに免れない。あるいは、誤りの入り得る可能性を排除できないわけだ。したがって、決してデータ=事実ではない。極端にいえば、すべてのデータはうそなのである。われわれは事実を決して知り得ない。だから、「事実を知っている」などという傲慢な心を、まず捨て去るのがよい。この謙虚さこそ、科学的というにふさわしい態度というべきだろう。 > すべてのデータはうそである。うそと承知でデータを使う。 しかもそこから、より正しい真実を割りだす。それが判断への道なのである。しかし、うそからどうしてまことが割りだせるのだろう。それは、見方を変えると、どのデータにもまた、多少ともに真実の面影が宿っているからなのである。(KJ法 渾沌をして語らしめるp.71)