すべてのデータはうそである
川喜田二郎
/nishio/「データをして語らしめる」は「事実をして〜」ではない
事実とデータは違う
私は「データをして語らしめる」ことが大切だと力説した。 「事実をして語らしめよ」とはのべなかった。それは、事実とデータとは、違うからである。
観察および記録という二重の過程をめぐって、そこに方法手段が介在するからには、誤りは多少ともに免れない。あるいは、誤りの入り得る可能性を排除できないわけだ。したがって、決してデータ=事実ではない。極端にいえば、すべてのデータはうそなのである。われわれは事実を決して知り得ない。だから、「事実を知っている」などという傲慢な心を、まず捨て去るのがよい。この謙虚さこそ、科学的というにふさわしい態度というべきだろう。
理論負荷性
真実に向かおうとする意志
/nishio/KJ法勉強会@サイボウズ#62fe0a84aff09e0000ab94b1
> すべてのデータはうそである。うそと承知でデータを使う。 しかもそこから、より正しい真実を割りだす。それが判断への道なのである。しかし、うそからどうしてまことが割りだせるのだろう。それは、見方を変えると、どのデータにもまた、多少ともに真実の面影が宿っているからなのである。(KJ法 渾沌をして語らしめるp.71)
数字は嘘をつかない
数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う
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