構造を入れる
理解するとは、学ぶとは、教えるとは、構造を入れること
混沌の世界に何かしらの指標を入れる
構造を入れて整理することで考えることを減らせる
何かの知見をまとめた記事を公開するのは、関連する知識を整理すること
実際の具体的なケースに基づいて、有用だと思われることに絞って整理する
整理するというのは構造を入れることに他ならない
概念に対して命名することで、それとそれ以外に世界を分けられる
構造がないとどう理解すればよいかわからなく、感覚に頼ることになる
全く知らない分野のことだったり、
身近なものだと、例えば音楽とか絵画とか
筋が悪い構造であったとしても、それを批判し、話を前に進めることができる
ディスタンクシオンの整理は今見れば偏見ぽく見えるが、当時はそういう整理がなかったのであれば批判対象となる構造を入れたという点で偉い 逆に言えば、自分の中に構造がないと批判的に読みようがない 読んだものをそのまま受け容れることしかできない
自分の中に「これはこうでしょ」という構造がないと、それとの比較ができない
比較できないと歪さに気付けない、優劣をつけられない
自分の構造を書き換えることも、それに対する批判もできない
新しく何かを学ぶ際に最も優先順位が高いのはさっさと構造化すること
抽象的に登場人物や関係性を理解すること
具体的な細かい知識を取り入れることではない
例えば、
新しいツールならチュートリアルをやってみるとか
読書なら細かいところを読み飛ばしてさっさと通読する、とか?
意識的にメモを取らずに読むことで重要なことしか記憶できなくするとか
構造化しないと人に共有できない
例えば部下とかチームメンバーに何かの知見を共有する際に、何かしらの構造化ができてないと伝えづらい
時間をかけてに「感覚」を共有することもできそうだがそれは相手の構造化能力に頼ってるだけな気もする
相手の中にある構造を聞き出す能力も有用そう
聞いたことをこちらで構造化して、抜けている部分を特定し、更に聞く
感覚でやっている部分を整理して、解決策の提示やロジックに落とし込めるようにする
構造を作ることで初めて破壊ができる