偽の問題
faux problème
真偽の判定は問いそのものに対して行わないといけない
偽の問題には答えは出ない
問題は適切な仕方で提起されると自ずと解決される
問題の周囲を堂々巡りする
偽の問題には以下の2つがある
存在しない問題
問題自体が取り違えており、特定の心理的な動機に基づいている
非存在の問題
ex. なぜ無ではなくなにかがあるのか
無秩序の問題
自分の理想と反する秩序のことを無秩序と呼んでいているにすぎない
そこに秩序はある
ex. なぜ無秩序ではなく秩序があるのか
可能的なものの問題
ハムレットはシェイクスピアにしか書けない
この感じ方、この思考を、この時代にしたシェイクスピアだからこそ書けた
ex. なぜあれではなくこれなのか
提起の仕方が良くない問題
ex. 幸福は快楽に還元されるかどうか
これに答えようとしても「幸福」、「快楽」の言葉の通例を分析することになるだけ
ベルクソンもマルクスも、問題とはあらかじめ存在している解決の影のようなものだと言っているのではない (...)。また、問題だけが重要だと言っているのでもない。むしろ、大切なのは問題の解決である。しかし、問題にはいつでもそれにふさわしい解決があるのであって、その解決は問題の提起の仕方、それが問題として規定される諸条件、それを問題として提起するために用いられる手段と媒介によってなされるのである。この意味において、理論の視点からも、実践の視点からも、人間の歴史は問題の歴史である。 『ドゥルーズの哲学原理』.icon p.101
参考