「自分がスタンダード」ではない
という感覚を全員が持ち合わすべき、というか、持ち合わせおいたほうが色々円滑に回る
例えば、2人が共同生活をしている時に、
Aさんは、きれい好きで部屋をきれいに保ちたいと感じている
Bさんは、多少散らかっていても特に気にならないと感じている
例えば、
Aさんは、騒音が気になる
Bさんは、家でドタバタする
と言った場合に、何故かAの意見を尊重すべき、といった感覚が一瞬よぎる
AがBに対し「直せ!」という構図ができる
「普通」や「常識」や「良い悪い」の基準が自分の中に存在してしまい、更にそれを他者に要請している
Bを基準にすれば、Aが過剰に綺麗過ぎ、音に敏感過ぎ、という言い方もできるわけである
その視点が欠落している
Aが「正しい」わけでもないし、Bが「正しい」わけでもない
「自分がスタンダードである」「自分は倫理的である」といった感覚は危険(?) 他者と接する時、自分がスタンダードではない、という感覚を持ち合わせておくと良い
気持ちが楽になる
元の基準で見れば「許せる」様になる
これはAもBも悪意がない前提の話をしてる
ただ、この考え方で問題が解決するわけではないので、そこは別の対処が必要
基準を動かしたり、距離をおいたり、何らかの対処をすればいい、しなくてもいい
我慢しろという話ではない
自分がAなら耳栓するか移動するだろうし、自分がBなら静かにするように努めるだろう
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