高野隆
高野隆を一言で表すとすれば、物語力。依頼人が無実である物語をつくり上げ、裁判官と裁判員の前に送り出す。裁判は物語と物語の対決、事実認定者が証拠を見て描く物語を獲得できるかどうか。
高野隆は法廷のストーリーテラー。この本の末尾には高野隆の弁論集が紹介されている。しかし、高野隆の弁論は法廷にのみある。文字としての弁論は、いわば映画を見ずにシナリオを読んでいるようなもの。
https://www.fben.jp/bookcolumn/2024/10/post_7703.php
narrative
https://niben.jp/niben/books/frontier/backnumber/202205/post-401.html
目の前にある事件・案件を既製の道具を使って処理するのではなく、とにかく一から自分で調べて自分のやり方で実践してみるというのは、波乱や軋轢を招くことがあります。役所が絡んでくると特にそうです。供託書の書き方が慣例と違うとか添付書類が足りないなどと言って供託を受け付けない法務官僚がいたりします。法律の要件は満たしているので、「できるはずだ」「できないと言うなら却下してください」などと言ってケンカを売ったりもしました。その結果、受け付けてくれたことも多数あります。急いでいるので、妥協したケースもあります。しかし、基本的には自分が調べて自分が正しいと思ったことは曲げないようにしていました。
民事執行の現場がときに修羅場と化すというのもすぐに経験しました。当時、民事執行法が施行されて間もない時期でした。まだ執行の現場には「事件屋」とか「執行屋」とか「占有屋」と呼ばれる人々が跋扈していました。執行妨害を受けることもしばしばでした。彼らとの交渉――ケンカを含む――の仕方も私なりに研究し学びました。
刑事事件ですが、木上勝征先生はもう一つとても大切な教えを私に与えてくださいました。それは「決して被告人を裁いてはいけない。被告人を裁くのは弁護士の仕事ではない」という言葉です。これは刑事弁護の本質に関わる教えです。これは刑事弁護の倫理そのものです。新人弁護士として刑事弁護をするようになると、すぐにこの問題に直面します。否認している被疑者や被告人について、担当検事が電話してきて「説得したらどうか」などと言うのです。「無理な否認をやめるように説得するのも刑事弁護だ」と。先輩弁護士のなかにもそうしたことを言う人が少なからずいました。そして、この国の「人質司法」はこうした説得や働きかけを助長する強力な装置となっています。
私は、司法修習生のときに刑事裁判の形骸化した姿を目の当たりにしてショックを受けました※1。木上先生はそうした現状を少しでも改革しようとしている中堅弁護士の一人でした。惨憺たる刑事裁判の現状に抗い少しでも前を向いて「被告人主体の刑事弁護」を実践しようとしている先生の言葉は私にとって導きの星となりました。しかし、ここでも私は木上先生の言葉を繰り返し吟味するなかで私なりの独自の解釈で、徹底した形でそれを実践することになっていきます。
私は自然と依頼人のことを――私選であれ国選であれ――「被告人」とか「被疑者」と呼ばなくなりました。そして、弁護人は、検察官や裁判官の仕事をやりやすくするために存在するのではない、依頼人が持っている権利を効果的に実践することこそが弁護人の仕事だ(その意味では民事の代理人と何も変わらない)、そのために必要であれば、躊躇なく検察官や裁判官とケンカしなければならない。そう考え、その考えを実践することになります。
岸盛一・横川敏雄『事実審理--集中審理と交互尋問の技術』(有斐閣1960)で学んだことを法廷で実践しました。つまり、検事の尋問に異議を言いました。裁判官の中には私の異議について裁定もせず聞き流すだけの人も少なくありませんでした(これも今では考えられませんね)。こちらは「誘導」「伝聞」「関連性がない」「漠然とした尋問」「意見・推測を求める尋問」という具合にきちんと理由を言って異議を述べているのに、裁判官はきちんと判断しません。なかには何の説明もなしに「棄却します」しか言わない裁判官もいました。そうこうするうちに裁判所のなかで私は「変人」扱いされるようになりました。
なぜ法律に則った活動をしているのに異端視されなければならないのか。私はこの国の刑事司法に絶望を感じ始めました。そういえば研修所の刑事裁判教官が飲み会の席で「実務の刑事訴訟法は教科書の刑事訴訟法と違うんだよ」と真顔で言っていたのを思い出したりしました。あとから考えるとこれはまだ「本当の絶望」ではなく、のちにもっと深い絶望を感じることになるのですが、新人時代の私は3年目ぐらいで打ちのめされてしまいました。
1986年から87年にかけてアメリカのロースクールで学んだことは、その後の私の人生に決定的と言える影響を与えたと思います。
一つは、日本の法制度を外から相対的に眺めることができたということです。
これはなかなか言葉では表現しづらいのですが、日本の司法制度は西欧のそれをモデルにしたと言われていますが、コモン・ロー系とはもちろん、大陸法系の制度ともかなり異なる特殊なもののように感じます。
アメリカのロースクールには世界中から法律家が集まっています。彼らと話をしていると、日本の裁判官は、法の判断者あるいは法の形成者というよりは、組織的な意思決定を通達するだけの小役人のような感じがします。この国の裁判所は独立の司法機関というよりは、ただの官僚機構の一つのように見えます。
もう一つ。それは法制度というものが歴史の産物だということです。完全な法制度などというものは存在しない。全ては変わりうる。変わるべきものとして存在している。今は岩盤のように見えても、百年単位で考えれば必ず変わる。
ロースクールの教室で学生と教授が議論するのは法を形成する原動力となった「事件」です。そして、「事件」は歴史そのものです。それは依頼人とともに悪戦苦闘する法律家の物語にほかなりません。
...法の形成は、学者の理論によってではなく、事件によって、すなわち当事者とその代理人である法律家の活動によって成し遂げられるということです。だから私は目の前にある事件の弁護に徹底的にこだわります。
なぜ弁護するのか
https://sd6ed8aaa66162521.jimcontent.com/download/version/1571382502/module/8909883976/name/8_10.pdf
https://plltakano.livedoor.blog/archives/65220959.html
途中からカルロス・ゴーンの弁護人