間違いを認める
他人からの指摘を認める
何か自分(たち)にとって新しいことをするとき、基本的に間違いだらけで進む
無謬は大事ではない
「誤りを指摘され/気づき、それが納得できたなら、」間違いを認めてすぐに修正できると物事がよく進む
納得していないのに認めるのは後になって「いや、やっぱり」と混乱を生むので納得はポイント
自分からの指摘を認める
働かせる方法
反転する
遠くから見る
直さなくていい理由が聞こえたら、直す
我々は、自分の絵に対しても、他人の絵を見た時みたいに、無意識の深いレベルでは自分の絵の欠点やデッサンの狂いに気づいています。でも、自分の無意識の浅いレベルでは、デッサンの狂いに気づくと、今までものすごい時間と労力をかけて描いたこの部分を丸々消さなきゃならない、という事を認めなければならないので、その無意識の気づきを覆い隠して、『いや、デッサン狂ってないよ。うまく描けてるよ。大丈夫大丈夫』と自分の現実認識を歪めているのです。
冷静に観察して、絵の修正ポイントを的確に発見できたのに、その瞬間、嫌だな、描き直したくないな、という気持ちが湧いて、そして無意識の表層あたりから『大丈夫、このくらいなら描き直さなくても大丈夫』という囁きが聞こえてきました。正確には、ものすごい勢いで、次から次へと『直さなくていい理由』が心のどこかから湧いてきました。
『これはとても重要な反射光の発見があったデッサンだから、このまま消さずに進めたた方がいい』
『今までも、消して描き直したら直す前より悪くなって、結局総崩れになった事が何度もあった』
『描写が良ければ構図の事は誰も気づかないかもしれない』
『そもそももう11時半で、消したら間に合わないんじゃないか』
そういう『やらない理由』がとにかく無限に湧いてきて、自分の意志を覆い尽くしました。
その瞬間、意識の端で、何かが起動しました。
『こういう状況になったら、たとえどんな損失があっても関係なく絶対これをやるって最初に決めたよな』
そして、僕は練り消しで思い切りアリアスの顔を消していました。
やっちゃったー、という気持ちと同時に、勝った、という気持ちが湧き上がって、本当に今まで自分をがんじがらめにしていた呪いが解けたみたいに、心が軽くなりました。
絵が上手い人はみんな当たり前のようにこれができていています。最初から当たり前のようにできる人もいるし、僕のように散々苦労してやっとできるようになった、という人もいます。でも、上手い人はみんな、間違いを正当化しようとする無意識の声を跳ね除ける方法を持っています。 伸び悩む人はほぼ例外なく、この無意識の声に負けています。
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