読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール 著 , 大浦 康介 翻訳
ヴァレリー、エーコ、漱石など、古今東西の名作から読書をめぐるシーンをとりあげ、知識人たちがいかに鮮やかに「読んだふり」をやってのけたかを例証。テクストの細部にひきずられて自分を見失うことなく、その書物の位置づけを大づかみに捉える力こそ、「教養」の正体なのだ
1 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
教養があるとは、全体のなかで自分がどの位置にいるかがわかっているということである
ぜんぜん読んだことのない本
諸々の本はひとつの全体を形作っているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけられるということである。
ある文化の方向性を決定づけている重要書の見取り図を描けるかどうかが、書物について語る際には決定的に重要なのである。
ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
文学について考察しようとする真の読者にとって、大事なのはある特定の本ではなく、他のすべてを含めた全体像である
人から聞いたことがある本
読んだことはあるが忘れてしまった本
2 どんな状況でコメントするのか
大勢の人の前で
教師の面前で
作家を前にして
愛する人の前で
3 心がまえ
気後れしない
自分の考えを押しつける
本をでっち上げる
自分自身について語る
結び
以前、こんなことを思った。「不完全性の博覧会」を見たい。たとえば、ミスのある事務書類や、いいかげんなメールや報告書を、きれいに額装でもして、「これでも通用してるんですよ」とずらりと並べる。晴れやかな気持ちになるに違いない。これでいいのだ、と。おそらく、インターネットでの人のアラ探しが日に日に悪化しているこのご時世でそんな展示をやったら、ごく単純に「問題が明らかにされた」ことになってしまうのかもしれないが……。 @oxomckoe: 本棚を見た学生から「先生、これ全部読んだんですか」と聞かれる。案外重要な問いだと思うのでいちいち応えている。「まず第一に、読んでません。ただ大学院博士課程で修行をすると、所蔵すべき重要文献が何かわかります。題名・目次・著者からおおよその内容は分かります。自分が書く時に読みます」。