著作者人格権
著作権実務に携わっていて、こういった感じで著作者人格権が「これぞ!」という働きをしているシーンに出くわすことは、残念ながらあまり多くはありません。
翻案権侵害が認められた事案で、同一性保持権侵害もありますよね、と損害額が上乗せされるシーン(実務上よくあります)などは、「これぞ人格権!」どころか、むしろ「コレジャナイ」感すら漂います。
翻案権侵害でも同一性保持権侵害でも、結局は権利侵害があるということになると、法的効果として変わってくるのは損害の額だけということにもなりかねません。人格権と言いつつ、結局損害額の多寡にだけしか影響しないということになると、お金の問題じゃなくて、人格の問題じゃなかったのか!?などと思わざるを得ません。
思わぬところで著作者人格権侵害に引っかかってしまうということがあり得ます。...実務上こういった場面に出くわすたび、私は著作者人格権がその守備範囲を見失っていて、著作権法が制限規定を設けることで図ろうとしている権利保護と著作物の利用促進とのバランスを崩しているのではないかと思っています。
ベルヌ条約のように、名誉または声望を害するおそれがあるような場合についてだけ侵害が成立するというような制度としてはどうだろうか 著作者人格権は(正しく機能すれば)大事であると思っていますが、単に著作者の意に反するかどうかだけでは著作物を利用する側にとってあまりに予測可能性が低すぎます