自分がVTuberに抱いている幻想
VTuberのファンは何に価値を感じているのか?
VTuberのファンにはいろいろな人がいるように思う。例えばアイドル的な活動をしている人たちには、基底現実のアイドルと同じようなファンがつく気がする。
VTuberのファンがVTuberのどこに価値を感じるのかというのは、人それぞれ違うのが健全だと思う。それは間口が広い事を意味していて、VTuberというジャンルが盛り上がりやすいということだから。
きっかけはなんであっても、配信や主体的なコミット(ファンアートを描くとか)を通じて、Vとの関係性が気づかれていき、ファンになる。そこには楽しいなどの直感的なインセンティブがあるはずで、熱中している間は価値を冷静に考えることはそれなりに難しい。
以降を読む上でのおことわり
自分以外の価値観も大切にしたいので、考えが違う人を自分から排斥するようなことはしたいとは思っていません
主観的な幻想以外の話はしません。社会的な意義とかそういう話はこの記事には出ません
自分が抱いている幻想
自分はキャラクターが実在化したという文脈でVTuberを見ている
もっと言えば、昔から「終わりのない物語」ができることを望んでいた。ゲームでNPCに話しかけ続けると、同じテキストが読み上げられてしまうが、あれが実際の人間と同じように会話が進むようなものができないかと思っていた。最終的には機械学習でなんとかできるのではないかと思っていた 今思うと、こういう見方をしていたので声優さんの沼にハマることはなかった
実在性を本気で信じなければいけないと思っている
根底の思想
心のような反応は未来には人工的に作れると信じている
そしてそれを誰もが見破れなければ、それは心そのものだと信じている
はじめてVTuberを見たときは、キャラクターだけれど人間と同じ反応ができる仕組みでスゴイ!と思った
この見方の欠点
魂が露出することを忌避している
露出できないことは、魂のキャリアにとってはいいことではない
声優では「○○役を演じた」というようなステータスがつくのに、魂にはつかない この感覚はかなり少数なのではないか?
「中に現実の人がいるんだ」ということを自然に受け入れている人は、こういう考え方とは根本的に違う。そしてそう考えるのが普通である。私が異常なだけである。
この感覚にも結構共感できる