知能の遺伝的影響
遺伝率(後述)は60〜70%
身長や体重の遺伝率が90%くらい
パーソナリティや喫煙や飲酒などが50%
知能と学力に関しては、家庭環境によるきょうだいの類似性も大きく、その割合は20~30%程度になる。
行動遺伝学が扱ってきた心理学的な特徴の中で、知能と学業成績は、最も遺伝の影響が大きい特徴のひとつである。 知能と学業成績に関するこの知見は、1963年にそのときすでに30以上あったさまざまなの知能の血縁相関に関する研究をまとめた先駆的論文(Erlenmeyer-Kimling & Jarvik, 1963)以来、行動遺伝学の歴史の中で常に明らかにされつづけている頑健な知見だ。私たちの行った双生児研究はじめ、日本の研究でも再現されている。
遺伝の影響が60%とは、テスト得点が80点だったとき、その60%にあたる48点までは遺伝で取れ、残り40%ぶんの12点を環境が補ったというような意味では全くない。それはある集団の成員の「ばらつき」を説明する割合である。
これまでにたくさんの双生児研究がなされているが、およそどんな能力やパーソナリティ、社会性、精神病理などの心理的特徴について遺伝と環境の影響を求めても、たいてい30%から60%の遺伝率が算出される。
共有環境の影響は小さい
共有環境の影響がまったくないか、あっても少ない
ある程度その影響が見つかるのは、知能と学業成績、そしてタバコやアルコールのような現物が家にありそうなもの、あるいは若いときの非行のようなきょうだいや仲間がやっているとちょっと魅力的に感じて誘われそうなものに限られる。
ヒトの形質への遺伝の影響は、遺伝子が全く同じ一卵性双生児の類似度を、環境は一卵性と同じ条件だが遺伝子が半分しか同じではない二卵性双生児の類似度と比較することによって得られる。それが双生児法だ。
双生児法では、きょうだいの類似性を示す相関係数という数字を使う。完全に類似していればその値は1、全く似ていなければ0、学業成績だとたとえば一卵性では0.75、二卵性だと0.45くらいである。 これは遺伝要因(x)も家族が共有する環境要因(y)も同じ値で散らばった人たちの類似性が0.75(x+y=0.75)、遺伝要因では半分しか類似していない(0.5x)が、家族の共有環境要因では同じ値(y)で散らばった人たちの類似性が0.45(0.5x+y=0.45)ということなので、(カッコの中に書いたxとyの二つの式からなる連立方程式を解くと)遺伝率(x)が60%(0.60)となる。
残り40%(0.40)が遺伝によらない環境の影響である。そしてその環境の中でも、家族で類似する共有環境の割合(y)が15%、それでも説明されない家族で共有されない一人ひとりに固有な環境の影響が残る25%(ちょうど一卵性が類似して「いない」程度、つまり完全な一致を示す1から一卵性の類似性0.75を引いた値に等しい)ということになる。
15%はどこから出てきた?
国語が得意な人は概して数学も理科も社会も得意であり、言語による推論が得意な人は空間把握や記憶も得意という傾向がある。しかもそれは遺伝子レベルで互いに強い結びつきがあるのである。
たとえば数学に関係する遺伝子は、同時に国語(言語能力)にも関係することが、やはりイギリスの研究で明らかにされている。能力の遺伝子たちは、概してジェネラリスト・ジーン(万能遺伝子)として効いてくるものなのだ。
パーソナリティや社会的態度の一卵性の一致度が30%〜50%なのだ。それに対して二卵性は15%〜25%程度に過ぎない。
同じ家庭環境で育ち、遺伝子まで同じ一卵性ですら、30~40%の類似性しかない
行動遺伝学の非共有環境
同じ家庭で育っても一人ひとり異なる環境である
重みはが60%〜70%
非共有環境のほとんどは、単に同じ家庭で育っても違うというだけでなく、同じ人であっても、何をするか、いつするかによって異なる、偶然に出会った影響であることが多い。
教育経済学者の中室牧子氏らは、成人してから50歳くらいまで、収入に及ぼす遺伝の影響がどのように変化するかを調べた。それを共有環境や非共有環境と並べて図示すると、このようになる(男性の場合)。 これは研究手法を見ておく必要がある
普通に数字を弾くのは困難だと思うので、かなりきつい仮定を置いているはず
安藤 寿康
慶應義塾大学文学部教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学
これに対する典型的な反論は
結局何があっているのかわからない
やりたいこと以外できない(やりたいと思えないから)
とかだろう
ドブジャンスキーという有名な集団遺伝学者が「人間の不幸の多くは、人々が遺伝的に適合しない仕事についているためだと思う」と言っているのをどこかで読み合点しましたが、それならどうすればいいのか、遺伝的素質なんて生きてみないと分からないことで、遺伝子検査で明らかになるようなものではありません。