民主主義の壊し方、教えます:ハンガリー流ていねいな権威主義
プロローグ 「召喚、ただし行き先は議会」
異世界転生ものだと思っていた。
眩しい光に包まれて、気づいたら見知らぬ場所に立っていた。石造りの荘厳な建物。赤と緑の旗。そしてどこかで見たことのある白いワイシャツの中年男性が、俺を見上げてニヤリと笑っていた。
「ようこそ、ブダペストへ」
彼の名前はヴィクトル・オルバンViktor Orbán。ハンガリー首相にして、二十一世紀における「民主主義の皮をかぶった一党支配」の達人である。
俺の名前はタロウ。十八歳、政治に無関心な日本の高校生。気づいたら首相官邸のど真ん中に召喚されていた。
「君に、独裁の極意を教えよう」
オルバンさんは静かに、しかし確信に満ちた声でそう言った。
これは俺が、民主主義の枠内で民主主義を終わらせる方法を学ぶ物語だ。
第一章 「まず選挙に勝て、話はそれからだ」
「質問があります、オルバン先生」
俺は手を挙げた。官邸の執務室は思ったより地味だった。コーヒーの香りがする。木の机の上には書類と、なぜかチェスの駒が一つ、ポツンと置いてあった。
「独裁者になるにはクーデターが必要なんじゃないですか? 軍を動かして、テレビ局を占拠して――」
オルバンさんはコーヒーカップを置き、疲れたように首を振った。
「それは二十世紀の手法だ。粗雑で、野蛮で、何より長続きしない。国際社会から制裁される。軍が寝返る。そして英雄的な民衆が広場に集まってくる。ロマンチックだが、非効率だ」
「じゃあどうするんですか」
「選挙で勝つ」
シンプルすぎる答えだった。
「ちゃんと選挙に出る。ちゃんと票を集める。民主主義のルールを守る。そして——」オルバンさんは人差し指を立てた。「三分の二を取る」
「三分の二?」
「議席の三分の二だ。ハンガリーでは、三分の二があれば憲法を書き換えられる。選挙制度を変えられる。裁判所の構成を変えられる。何でもできる。しかもすべて合法的に」
俺はしばらく黙った。
「……それって、つまり」
「一度だけ本気で勝てばいい。その後は、ゲームのルール自体を自分に有利に書き換える。これが現代独裁の基本だ」
オルバンさんはホワイトボードを引っ張り出してきた。そこにデカデカと書いた。
code:_
【オルバン式・独裁への道 第一法則】
クーデターではなく選挙を使え。
しかし選挙で勝った後、次の選挙を「必ず勝てる」形に作り替えよ。
「これをゲリマンダリングと言う」と彼は付け加えた。「選挙区の境界線を、自分の党が有利になるように引き直す。
「……境界線を引き直す? どういう意味ですか?」
オルバンさんは少し目を細め、俺の顔を見た。それから「ついてきなさい」とだけ言って、廊下の奥にある会議室へ向かった。
部屋の中央には大きなホワイトボード。彼はマーカーを手に取り、まず25個の丸を書いた。赤い丸が15個、青い丸が10個。
「これが、ある地方の有権者だと思いなさい。赤が私の支持者、青が反対派だ」
code:_
🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
「赤が15人、青が10人。私が多数派だ。公平な選挙をすれば、私が勝つはずだと思うか?」
「当然じゃないですか。数が多いんだから」
「では——」オルバンさんはこの25人を五つの選挙区に分けた。横に一列ずつ。
code:_
🔴🔴🔴🔴🔴 → 赤5:青0 → 赤の勝ち
🔴🔴🔴🔴🔴 → 赤5:青0 → 赤の勝ち
🔴🔴🔵🔵🔵 → 赤2:青3 → 青の勝ち
🔴🔴🔵🔵🔵 → 赤2:青3 → 青の勝ち
🔴🔵🔵🔵🔵 → 赤1:青4 → 青の勝ち
「結果は?」
俺は指を折った。「赤が……2議席。青が3議席。あれ? 赤が多数派なのに負けてる」
「そう」とオルバンさんは言った。声に温度がなかった。「これが区割りの魔法だ。票の数ではなく、どこに誰がいるかが勝敗を決める」
「でも先生、これだと赤——フィデス党が不利じゃないですか」
「だから引き直す」
ぐにゃぐにゃと、まるでパズルのピースのような境界線を25人の間に引き始めた。地図で言えば、飛び地だらけの不思議な形だ。
「直線では切れない。でも、どんな形の境界線でも、合法的に引けるなら何でもいい」
できあがった区割りを見ると——青い丸が、五つの選挙区に均等にばらけていた。
code:_
🔴🔴🔴🔵🔵 → 赤3:青2 → 赤の勝ち
🔴🔴🔴🔵🔵 → 赤3:青2 → 赤の勝ち
🔴🔴🔴🔵🔵 → 赤3:青2 → 赤の勝ち
🔴🔴🔴🔵🔵 → 赤3:青2 → 赤の勝ち
🔴🔴🔴🔵🔵 → 赤3:青2 → 赤の勝ち
「……5議席全部、赤が勝ってる」
「青は10人いる。でもどの区でも少数派だ。これを『クラッキング』と言う。反対派の票を全選挙区に薄く広げて、どこでも勝てないようにする。フィデスのほうが元から数が多いから、うまく分散させれば必ずどの区でも3対2で勝てる。多数派が区割りを設計すれば、少数派は永遠に勝てない」
俺はボードを見つめた。さっきの図と、並んでいる丸の数は同じなのに、結果がまるで違う。
「……区割りを変えただけで?」
「それだけだ。暴力は一切ない。選挙は行われた。全員が投票した。でも——どこに線を引くかを決めた者が、勝者を決めた」
「これって……詐欺じゃないですか」
「合法だ」とオルバンさんは言い切った。「区割りは法律で決める。法律は議会が決める。議会の三分の二は私が持っている。つまり——」
「区割りを決めるのも、先生……」
「民主主義のルールの中で、民主主義のルールを書き換える。これが現代の技術だ」
彼は2010年のハンガリーの数字をボードに書いた。
code:_
2010年:得票率53% → 議席の68%獲得
↓ 区割りを「調整」
2014年:得票率45% → 議席の67%獲得
2018年:得票率49% → 議席の67%獲得
「票が減っても議席は変わらない」
俺はその数字を見て、何か言おうとした。でも言葉が出なかった。
「アメリカ人が考えた技術だが、われわれが完成させた」とオルバンさんは付け加えた。
「アメリカ人が……」
「民主主義を発明した人々は、その武器の使い方を教えすぎた」
オルバンさんはどこか寂しそうに笑った。マーカーのキャップを閉める音が、やけに大きく聞こえた。
第二章 「敵を作れ、ただし倒せないくらいの敵を」
翌日、俺は首相の地方遊説に同行することになった。
ハンガリーの田舎は美しかった。小麦畑が続き、教会の塔が夕日に映える。のどかな村々に、赤と白と緑の旗が風にはためいている。
https://www.youtube.com/watch?v=K6S0FK2MIO0
演説会場は村の広場だった。集まっているのは中高年の農民が多い。オルバンさんがマイクを握ると、拍手が沸き起こった。
「ブリュッセルの官僚どもは、われわれの国境を開けと言う!」
どよめき。
「ソロスGeorge Sorosの金で動くNGOが、われわれの子どもたちに毒を盛ろうとしている!」
怒号。
「しかし、私がいる限り、ハンガリーはハンガリーであり続ける!」
大歓声。
俺は隣に立っていた秘書官のクマールさん(なぜかインド人)に小声で聞いた。
「移民って、ハンガリーにどのくらいいるんですか?」
「ほとんどいません」とクマールさんは平然と答えた。「人口の一パーセント以下です」
「じゃあなんで……」
「いないから怖いんです」
クマールさんは静かに説明した。「もし実際に移民が隣に住んでいたら、普通の人だとわかる。でも『来るかもしれない』『制御できない大波』というイメージの段階では、何にでも見える。モンスターにもなれる」
演説が終わった後、オルバンさんが俺のところに来た。
「どうだった?」
「敵を作ってますよね、わざと」
「そう」と彼は頷いた。「しかしポイントがある。絶対に倒せない敵を選べ」
「え?」
「もし本当に移民を全員追い出したら、次の選挙で何を訴える? もし本当にEUに勝ったら、次の敵は誰だ? 敵は永遠に脅威のままでなければならない。だから私は、EU離脱はしない。ソロスを逮捕しない。移民問題を『解決』しない。永続する脅威こそが、永続する支持を生む」
code:_
【オルバン式・独裁への道 第二法則】
敵を作れ。
ただしその敵は、倒せるほど小さくてはならず、
攻めてくるほど大きくてもならない。
「永遠の脅威」がちょうどいい。
第三章 「メディアを買え、ただし自分の名前では買うな」
「次はメディアについて教えましょう」
翌朝、オルバンさんは俺をブダペストのカフェに連れて行った。地元紙とテレビのリモコンが、テーブルの上に並んでいる。
「日本ではメディアは独立していると思っている人が多い。ハンガリーでも昔はそうだった。しかし今は違う」
「どうやって変えたんですか? 法律で規制した?」
「いいえ」とオルバンさんは首を振った。「友人たちに買ってもらった」
「……友人?」
「私の友人たちはビジネスマンだ。彼らは新聞社やラジオ局やポータルサイトを買った。商業的な理由で、当然ながら。そして経営者が変わると——不思議なことに——報道の論調も少し変わった。私のことを批判するより、EU官僚を批判する記事のほうが読まれるとわかったらしい」
「それって、圧力をかけてるんじゃ——」
「証明できますか?」
オルバンさんは静かに言った。俺は黙った。
「私は彼らのメディアに、一度も電話していない。一度も記事を書き換えるよう指示していない。ただ——友人たちが正しい経営判断をした結果として、親政府的なメディアが増えた。それだけのことだ」
クマールさんがコーヒーをすすりながら補足した。「2018年には、オルバン支持者が持つメディア五百社以上が『KESMA』という財団に統合されました。これにより実質的な国営メディア網が完成しましたが、法的には民間財団です」
「地方に行けば」とオルバンさんは続けた。「反政府メディアはほとんど存在しない。農村の有権者は、批判的な声をそもそも聞かない。これは検閲ではない。市場の結果だ」
code:_
【オルバン式・独裁への道 第三法則】
メディアを直接規制するな。
友人に買わせろ。
証明できない支配が最も強い。
第四章 「お金で心を買え、ただし合法的に」
週の半ばに、俺は農業省の補助金配布式典に連れて行かれた。
市長と農家の代表が、大きな目録を受け取って写真に収まる。背後にはフィデス党(オルバンの党)の旗と首相の写真。式典の司会はフィデスの地方議員。
「これが『クライエンタリズム』だ」とクマールさんが解説した。「EU資金や国家予算が、党に近い地方ボスを通じて分配される」
「でも、それって不正じゃないんですか? 汚職では?」
「どこに汚職がありますか?」クマールさんは真顔で言った。「農家は正規の補助金を受け取った。市長は手続きに従って申請した。党は選挙運動をしただけだ。ただ——補助金をもらった農家は知っている。野党が勝てば、次の審査で落とされるかもしれない、と」
「証明できない圧力、ですね」
「その通り。農村の有権者にとって『オルバンを支持する』ことは、単なる政治的選好ではなく、経済的な生存戦略になっている」
code:_
【オルバン式・独裁への道 第四法則】
金を配れ。
ただし「あなたを支持するから配る」とは言うな。
受け取った側が勝手に「支持しないと次はない」と悟るよう設計せよ。
第五章 「EUを使え、EUに逆らうな」
金曜日、俺はついに核心に触れることができた。
「先生、一つ疑問があります。EUはオルバン先生に批判的ですよね。法の支配が侵害されているとか、民主主義的後退とか言って、資金を止めようとしたり……。なぜEUを離脱しないんですか?」
オルバンさんは珍しく大きな声で笑った。
「離脱? なぜ? EUは私の資金源だ」
「でも批判されてるじゃないですか」
「批判されても、カネは来る。なぜならEUの意思決定は全会一致が必要な場合が多い。私が一票持っている限り、私への制裁は骨抜きにできる。そしてポーランドやセルビアやほかの友人たちと組めば、さらに強い」
彼はウィンドウの外を見た。ドナウ川が光る。
「私はEUの批判を国内向けに使う。『ブリュッセルの官僚が我々を攻撃している』——これが支持者の怒りを燃やす。しかし実際にはEUから年間数千億円規模の資金を受け取り、それを友人たちに配る。批判されながら金をもらう。これ以上のビジネスはない」
code:_
【オルバン式・独裁への道 第五法則】
外部からの批判を、国内の結束に変換せよ。
「敵に攻撃されている」という状況は、
巧みに演出すれば支持率を上げる。
最終章 「民主主義の皮を、最後まで脱ぐな」
帰国の前夜、俺はオルバンさんと二人でドナウ川を眺めていた。
「先生は……本当に独裁者なんですか?」
長い沈黙の後、オルバンさんは答えた。
「私は選挙で選ばれた。反対意見は存在する。野党の議員もいる。裁判所もある。これは独裁ではない——非自由主義的民主主義だ、と私は言っている」
「それ、民主主義と呼べるんですか?」
「呼べるかどうかが問題ではない。続くかどうかが問題だ」
彼は川を見続けながら言った。
「歴史の教科書に出てくる独裁者たちは、みんな派手に失敗した。チャウシェスクは処刑された。フセインは吊るされた。なぜか? 彼らは仮面を脱いだ。暴力をあからさまにし、選挙を廃止し、憲法を紙くずにした。するとわかりやすい標的になる」
彼は俺を見た。
「私の手法は逆だ。民主主義の皮を最後まで脱がない。形式は保つ。選挙はある。憲法はある。裁判所はある。ただ、それらが機能するかどうかは——少しだけ、設計で調整する」
その言葉は、俺には不思議と「誇り」には聞こえなかった。どこか疲れた老人の独白のように聞こえた。
「先生は……幸せですか?」
オルバンさんは答えなかった。
ただ川を、ずっと見ていた。
エピローグ 「タロウ、帰国する」
翌朝、気づいたら自分の部屋にいた。
机の上には、見知らぬノートが一冊置いてあった。表紙に走り書きがある。
「民主主義とは、皆が同じゲームのルールを信じることで成立する。誰かがルールを書き換え始めたとき、それに最初に気づいた者だけが止められる。——V.O.」
俺はしばらくそのノートを見つめ、それからスマホを手に取った。
来週、地方議会の選挙がある。
俺はまだ、一度も投票に行ったことがなかった。
【了】
あとがき
本作はフィクションです。ヴィクトル・オルバン首相の実際の発言・行動を一部参考にしていますが、会話・場面はすべて創作です。政治的な手法の紹介はあくまで批評・風刺目的であり、推奨するものではありません。民主主義は、みんなで守るものです。
関連
民主主義を壊す
思考の道具としての物語