川上量生
@gweoipfsd: 冷静に自己分析すると、ぼくはプライベートにせよ、仕事にせよ、ここが人生の節目だな、勝負所だなと思ったときに、びしっと気合いが乗って好戦的になって、ネットで無駄な喧嘩をしてしまうという傾向がある。 なんどか書いたことあるし、理解してくれるひとはとても少ないことも分かっているんだけど、また書く。
ぼくがネットで喧嘩するのはいわゆる「荒らし」と呼ばれるひとがほとんどだ。良識あるまともな人間だったら絶対相手しないひととぼくはよく喧嘩する。
争う価値がない相手となぜ喧嘩するんだと、よく忠告される。
2点思うことがある。
ぼくは「荒らし」を相手する価値がない人間だとは思ってない。 それと、ぼく自身について、人間として「まともなひと」と「荒らし」だったら、どっちが近いかというと「荒らし」だと思っている。むしろ自分の仲間に見えてしまう。
ぼくがネットを始めたのはインターネット以前のパソコン通信だ。現実世界にあまり居場所のなかった僕にとってネットは天国だった。パソコン通信はネット時代の黎明期であり有名人も一般人もごっちゃにいて一緒に会話できた。ぼくはメディアで名前を知っている有名人のおかしな発言を見つけては非難することを始めた。面白かった。 森田将棋という当時パソコンユーザーには超有名だった作者のmoritanさんと一度ネットで論争になったことがあって、最終的にmoritanさんが自分の間違いを認めたことがあった。いまにして思えば大人の対応をしてくれた、あるいは面倒くさくなっただけだろうと思うけど、20代の間ぐらいは、moritanさんに議論で勝ったということが、ぼくの秘かな誇りだった。ぼくはネットに救われた部分が少なからずある。 ある種のひとにとって、現実世界では自分の意見なんていう場がないし聞いて貰えないし、ネットが生まれてはじめて、自分の本当の意見を発露することが許された場だったりすることを、世の中のひとたちには理解してほしいと思う。
みんなには迷惑かもしれないけど、当人にとっては社会へのデビューだ。彼らをネットから排除すべきではないと思う。
まあ、とはいっても、罵詈雑言をまきちらし続けてはネットからも排除されるのは時間の問題だ。
なので、ぼくはそういうひとを見つけたら、とりあえず彼らが使っているできるだけ同じ手法で攻撃することにしている。ネットの荒らしは相手の反応欲しさにどんどん攻撃方法が悪質化するから、でも、相手には基本無視されるから、自分のやっていることがどれだけ相手を傷つけているかが分からない。なので、同じ方法で攻撃することにしている。
まあ、どれだけ荒らしをやめる効果があるかは正直分からないけど、多少は効果あるんじゃないかと推測しているのと、たとえ効果がなかったとしても反応してもらえば荒らしにとってはうれしいんじゃないかと思ってやっている。やらずにはいられない気持ちがあるのは、僕自身が本来はそっち側の人間だと思っているからだ。
まあ、相手からは、そうは思われてはいないと思うけどね。
このツイートXを読んでいる有名人のひとなんていないと思うけど、もしいたら、きっと荒らしには大変いやな思いをしていることだと思うけど、そういうあなたを傷つけることによって、生きる自信をもったり、心の支えになっているひとがいるんだろうなと、ちょっとだけやさしい気持ちになってほしいと思う。そのほうがきっと心も楽だと思う。
まあ、そんなところ。