存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
「ポスト・モダン以降」の思想とは何なのか、われわれはあのバブルと多弁の80年代から何を得たのだろうか、こうした問いはやはり残るだろう。たとえポスト・モダニズムはもう終わったと言うにしても。
そのまさに80年代のポスト・モダン的思惟の中で育った若者が書いたデリダ論が本書であるが、ここで、著者は、なぜ自分が今デリダを論じるのか、「ポスト・モダン以降」のこの90年代の思想状況の中で、本書の占める位置はいかなるものであるのか、こうした自己認識、状況認識に対してきわめて明晰でかつ意図的であるように見える。
デリダ、クリプキ、ラカン、ジジェック、柄谷行人等の80年代から90年代にかけての現代思想を自由に往来した上で著者は、いわゆるポスト・モダン思想がどこで行き詰まったのかを極めて的確に描き出すのである。 これは決してデリダ研究書ではないが、またレトリックや自己陶酔的文体に頼った主観性の強い評論でもない。
否定神学、ゲーデル的脱構築というポスト・モダンの袋小路に代わって、著者はデリダから「郵便的」という別途の方位を受け取る 閉塞したポスト・モダニズムからの脱出口であると共に、ある意味でごくまっとうな議論への回帰でもある
「郵便的不安」や「幽霊的回帰」という独特の概念にもかかわらず、ここで述べられていることは経験的なコミュニケーションや思想史に照らしてごくわかりやすいことである。
難解さと論理のトリックを一種のファッションとした否定神学的ポスト・モダンから、より開かれた経験世界への還帰の道を指し示した...
第1章 幽霊に憑かれた哲学
第2章 二つの手紙、二つの脱構築
第3章 郵便、リズム、亡霊化
第4章 存在論的、郵便的(論理的;存在論的;精神分析的;郵便的)
https://www.youtube.com/watch?v=BJHF6RjOwRI
https://www.youtube.com/watch?v=81lxSd3r8cY