嫌いなものをどれだけ許容できるか
多くの人に関わる制度設計のなんらかの良き指標として機能しそうな気がする
嫌いなものを排除する際に筋を通さなくてもいいことがままある
全く支持しないガーシー議員なのだが、彼が「除名」という処分を受けることが適切なのかと考えると、筆者は、心に「ひっかかり」が二つ残る。
1. 白票としての機能
開票速報を見ながら「ガーシーが当選するなんて世も末だ。こんな国にはいたくないよ」と言った人物が筆者の近くにいた。筆者もその時に同意してうなずいたのだが、考え直すと「今の日本はNGだ」という意見を表現することにおいてなら、ガーシー氏への投票は役に立ったと言わざるを得ない。
2. 国会がオンライン化していないのはなぜかという問題
国会への参加は、地方からでも、病院の中からでも、外国からでも、議員本人がリアルタイムで真面目に参加するなら、何の問題もないのではないか。「有権者の意見を代弁すること」には何の支障もないはずだ。
もちろん、今の法律や制度が本人の登院を前提にしているのでこれらの改変手続きが必要だろうし、オンラインでの議事進行のためには技術的にクリアしなければならない問題が「不可能ではないが、結構面倒だ」というくらいのレベルで存在するだろう。しかし、その技術は応用・転用も利くはずだし、現在の議員にかけている莫大な交通費と行き来の時間のコストを考えると、開発費は簡単にペイできるのではないか。
議場へのリアルな参加は特別に擁護すべき価値のある伝統だとは思えない。...大事なのは議論の実質だろう。例えば、外務大臣が外遊先からオンラインで答弁しても何ら構わないではないか。