古事記
漢字を日本語風にして書いている
『古事記』は、漢文様式の“国語文”である「変体漢文(和化漢文とも言われる)」で、漢字を借字として使用しています
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真福寺本 古事記(国立国会図書館)
島谷:漢字をそのまま使うのではなく、借字として使うことについてですが、日本語の“発音”と同じ漢字の発音、つまり中国語の“音(おん)”を借りて当てはめたものが「音仮名」。日本語の言葉の“意味”に見合った漢字を借りてきて、日本の“訓(くん)”読みとして当てはめたものが「訓仮名」です。
木下:借りてきた文字だから“かりな”、転じて“かな”、見た目は漢字であっても「仮名」と言うわけですね。
“音”と“訓”が混ざって長くなると、漢字だらけで読みにくい
なので『古事記』は文法的には漢文様式を取り入れつつ、ここからここまでは“音読”だよ、とも補記したわけです。
構成
上巻(序・神話)
火の神を産んだイザナミが死に、イザナギは黄泉の国へイザナミを奪還しにいく イザナミ「こっちの飯食っちゃったんで戻れんわ。こっちの神にお願いするから待て。今の私の姿を見るな」
イザナギ「待ちきれん。見るなって言われたら見たくなっちゃうから見るか〜。うわ、めっちゃ怖、何こいつ。逃げよ」
イザナミ「見るなって言ったのにどうしてみたの!」
イザナミ「呪ってやる。お前の国の人間を毎日1000人殺す」
イザナギ「じゃあ毎日1500人産む」
人間に寿命が発生&人口増加へ
三貴神
スサノオめっちゃ暴れたりするのでイザナギに追放される
泣くと悪霊が増える
イザナギは隠居
前で宴会してたら気になって開けたので捕獲
追放されたスサノオの前に、娘(クシナダヒメ)が八岐大蛇に食べられそうになっていた スサノオ「可愛い、結婚したい」
八岐大蛇を酒で酔わせて眠らせて殺す
スサノオ「迷惑かけてすまんやで」
スサノオの子孫の兄弟の話
兄弟で稲葉の美人に求婚しにいく
「今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」
ウサギ「美人と結婚できるのは〜オオナムチ!」
根の堅洲国
美人と結婚したオオナムチを憎んだ兄、オオナムチを殺害 オオナムチは生き返るがまた殺害
スサノオ、オオナムチに無茶振り試練をしまくる
オオナムチ、スサノオの娘を盗む
オオナムチ、大国主神と言う名前をスサノオからもらう オオナムチ、兄をやっつける
大国主が国を収めるようになる
天照大神、自分の子供の方がチャラ男の大国主より区しに収められると思って使者(タケミカヅチなど)を派遣、譲ってもらう 猿田彦が案内役になる(海で手を貝に噛まれて消息不明に) 父親に聞くために娘は実家に帰ってブスの姉と嫁義に来た
ニニギはブスは無理だったので実家に追い返した
サクヤヒメは繁栄をもたらすが、寿命が木の花のように儚い神だった
子孫の天皇に寿命ができた
設定を入れてくる
サクヤヒメが「子ができた」と言う時ニニギは「一晩でできるわけないから。国つ神の子じゃねーの?」と疑っていて、サクヤヒメは身の潔白を示すために火事の中出産することになる
黄泉の国パートで寿命ができたのは国だけで、神の天照の血筋の寿命はできてなかったの?
ニニギの子供の山幸彦、海幸彦が海の女神と結婚したり逃げられたりする
山幸彦の孫が日向から大和へ行って、神武天皇になった 欠史八代
初代から8人ぐらい天皇がいた
10代目
疫病が流行って困ってたら神がアドバイスくれて治った
不老不死の薬が欲しかったが手に入らず死亡
兄を殺したり、色々殺す
妻に草薙剣をあげる
猪の神に呪い殺される
白鳥になる
ヤマトタケルの息子と結婚
ヤマトタケルの息子が断ると呪い殺されたので、代わりに新羅へ行く
神功皇后の孫
山に登って見ると竈門の煙が上がっていなかったので、徴税を3年やめたらみんな豊かになった
スケコマシ
中巻(初代から十五代天皇まで)
下巻(第十六代から三十三代天皇まで)
契沖の文献考証と師・賀茂真淵の古道説を継承し、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。 宣長は『古事記』の註釈をする中で古代人の生き方や考え方の中に連綿と流れる一貫した精神性、即ち『道』(古道)の存在に気付き、この『道』を指し示すことにより日本の神代を尊ぶ国学として確立させた。 宣長は、真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、約35年を費やして当時の『古事記』研究の集大成である注釈書『古事記伝』を著した。 『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった。
『古事記伝』は、『古事記』の当時の写本を相互に校合し、諸写本の異同を厳密に校訂した上で本文を構築する文献学的手法により執筆されている。
さらに古語の訓を附し、その後に詳細な註釈を加えるという構成になっている
訓を附:漢文を日本語として読むようにする処理
(こうした書誌学的手法は宣長のみならず江戸期の学芸文化から現在の国文学・歴史学に到るまで行われており、『古事記』に関してはのちの倉野憲司『古事記全註釈』にも引き継がれている)。
『記伝』全44巻のうち、巻一は「直毘霊」(ナホビノミタマ)を含む総論となっており、巻二では序文の注釈や神統譜、巻三から巻四十四までは本文の註釈に分かれている。
宣長の『古事記伝』は、近世における古事記研究の頂点をなし、近代的な意味での実証主義的かつ文献学的な研究として評価されている。
1977