北斎漫画の「漫」画は参考にした絵手本に「一段劣る」画
北斎漫画の「漫」画は参考にした絵手本「一段劣る」画 特にコマの連続によって物語が描かれるストーリー漫画の要素は『北斎漫画』にはなく、現代の「マンガ」とは完全に別物である
出典 清水勲『北斎漫画 日本マンガの原点』(平凡社新書743)、平凡社、2014年 では、『北斎漫画』の「漫画」は、どのような意味で使われているのでしょうか。北斎自身が「漫画」という言葉を定義していないため、他の資料から類推するしかありません。
北斎の時代に「漫画」という言葉は『四時交加(しじのゆきかい)』という、四季折々の季節に江戸の町を行き交う人々を描いた絵本の序文に「思いつくまま取り止めもなく書いた」と言うような意味で使われている
東都ノ要路ニ棲遅シテ、朝ト無ク昏ト無ク、貴賤混駁シ士女老少綿綿絡繹トシテ交加スルヲ観ル。平常、舗中ニ在ツテ梧ニ凭リ、偶、夫ノ貴賎士女老少等ノ大路ニ交加スル所ヲ漫画シ、以テ四時月日ヲ別チ、...
しかし北斎漫画はあらゆる題材が描かれているので林美一や宮本大人から、肆書いたのではなくありとあらゆることを書くと言うような意味だと異論が出ている
しかしながら、「漫画」=ヘラサギと当時の文献に記されていたとはいえ、それほど有名な話とは思えず、北斎が「漫画」に「飽くことなく渉猟する」という意味があったことを知った上で使い始めたという可能性は低いと筆者は考えています。
1巻完結予定だったらしいので、ありとあらゆるってのは無理だしそう言うタイトルにはしないと思う基素.icon
記事後段で同様の指摘あり
北斎漫画の序文を読むと、北斎自身が漫画と名づけたとある
北斎が参考にしていた過去の絵手本と比べて一段劣ると言う意味で謙遜して「漫」画としたのではないかと記事の著者は推測している
中国の画譜である『芥子園画伝』
鍬形蕙斎の『諸職画鑑』(下図)や『略画式』
同年代の「漫画」もそのような意味らしい
合川珉和 『漫画百女』
『北斎漫画』初編と同じ文化11年(1814)に刊行
元禄8年(1695)に刊行された菱川師宣の『和国百女』という絵本を、今風の女性の姿で描き直してみようという、パロディー...
立林何帠 『光琳漫画』
文化14年(1817)刊
尾形光琳そのものが描いたちゃんとした絵画を集めた画譜ではなく、漆器や蒔絵などに用いられた光琳風の植物文様を収録したものとなっています