内モンゴル自治区
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辛亥革命後の1915年に、モンゴルの二つの地域に違いが生じた。 外モンゴルは自治が認められたが、内モンゴルは中華民国に編入された(キャフタ協定) 内モンゴル自治区政府トップの歴代主席などをモンゴル族が務めているものの、 人口約2400万人のうち、モンゴル族は約400万人 中国政府が長期にわたって漢族の入植政策を積極的に進めてきたことによる
あえて強調するが、中国は文化大革命を利用して、モンゴル人に二つの「原罪」がある、と批判した。 「第一の罪」は「対日協力」で、満洲国時代に「日本帝国主義者と協力して中国人民を殺害した」ことである。
「第二の罪」は、日本が撤退した後に、モンゴル人は中国を選ばずに、同胞の国、モンゴル人民共和国との統一合併を求めたことである。
この二つの「罪」が「民族分裂の歴史」だと断じられて、34万人が逮捕され、12万人が暴力を受けて負傷し、2万7009人が殺害された。
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