信用できない相手とのコラボレーション:曖昧で不快な方法
2014年9月、メキシコで43人の生徒が殺される事件があった。犯人のギャングをサポートしていたのは地元の政治家。同時期に現在の大統領が関係業者に700万ドルを費やして豪邸を建てさせたとして汚職で訴えられた。これにより50万人が抗議の行進に参加。
この状態は、どんな一個人にも、どんな一団体にも変えられないのだ。変化に必要なのは、複数のプレイヤーによる合意、あるいはディールだった。
こうして33人のリーダーが集まった。男性と女性、右派と左派、与党や野党勢力、企業経営者、ジャーナリスト、アカデミア、教会の関係者や原住民の代表者など、意見も思想も全く違う人たちが集結した。お互いに賛同できず、好きにはなれず、信用もできない人たちだった。
この25年間に私が学んだ最も大切なことは、コラボレーションが、私が思っていたほど単純ではないことだ。私が初の著作『手ごわい問題は対話で解決する』に書いた対話は、今となれば、非現実的なアイデアだったと言わざるを得ない。
私の主張はこうだ。もし多様な他者の関わる取り組みで成功したいと思うなら、2つのことを理解してほしい。1つは、コラボレーションは唯一のオプションではないということ。目の前の現状に問題があるとき、そこには4つのオプションがある。
権威、金、思想、暴力によって自分の望む結果を生み出す
第一の選択肢がこれ
限界:相手も同じように力を行使すると息詰まる
適応
「寒いのは変えられないから、コートを着る」
限界:耐えられないようなことが現実には起こる
離脱
そこから離れる、そこに問題はないように振る舞う
限界:悲惨な結果になることもよくある
コラボレーション
矯正も適応も離脱もできない時の手段
限界:上手くいくかどうかわからない
よくあるアプローチ
問題は何か、解決策が何か、どこへ向かいたいとか、何をすべきとか、全体の利益を重視しようとかいう合意と、そのための明確なレシピが存在している。
そして、全体の利益のために、それぞれが何をすべきかを重視する。
これは単純な状況でしか上手くいかない
このコラボレーションへの従来型アプローチの限界は、単純で調和した状況でしかうまくいかないことだ。対立があり、複雑で、コントロール不可能な状況では、こんな合意はできない。
その逆を行わなければならない。非・従来的で、不愉快なコラボレーションであり、「ストレッチ・コラボレーション」と呼んでいる。快適な領域の外側へストレッチしなければならないからだ。 3つのストレッチ
1. 対立を受け入れる(調和を望む人たちは不快なストレッチ)
従来型コラボレーションでよくある話は、「全体の利益を重視しよう」、「調和を重視しよう」と言うことだ。しかし、この発言の問題は、ひとつの「全体」というのは絶対に存在しないことだ。(略)「全体」が、本当に意味するのは"私"が大切に思う「全体」だ。
内戦の平和協定を実現させて2016年にノーベル賞を取ったコロンビアのサントス大統領の事例
大統領を辞したときには、あの人は政治的にボロボロに破壊されてしまっていた。「敵とのコラボレーションを行えば、そのコラボレーションを進める人には必ずハッピーエンドが待っている」と言う話は、真実ではない。
2. 問題、解決策や計画への合意に拘ることから、「前に進む道を感じ取る」と考えるようにシフトする(物事が予測可能な状態であってほしいという人には不快なストレッチ)
従来型コラボレーションで私たちは何をするかと言う点で合意しなければならないと言う。
しかし、このような状況では、合意することはできない。何をしなければならないかは分かり得ない。複雑で対立を孕む状況で、取り組みがどのように展開するかをコントロールすることはできない。何がうまくいき、何がうまくいかないかは分からない。
実験してみる以外に方法はない
これはいまの基素.iconにはできない
3. 自分が変わる(権威を持ちコントロールする側でありたいと願う人たちにとってのストレッチ)
第3の最も根本的なストレッチは、私たち自身のコラボレーションのプロセスへの関与の仕方だ。
従来型コラボレーションでは「状況を変えるためには、みんなが変わらなければならない」と真剣な顔でよく言う。しかし、ほぼすべての場合、ここで意味しているのは「他の人たち」が変わらなければならないということだ。
私たちには、相手が誰であろうと何かをさせることはできない。複雑で対立を孕む状況で、他の人が何をするかをコントロールすることはできない。
これまでのコラボレーションにおける、合意、調和、正確さ、権威やコントロールといったファンタジー、つまり幻想を捨て去らなければならない。
より曖昧であり、厳密でない、現実的なコラボレーションへのストレッチが必要だ。そうする中で、私たちが敵だと考える相手が、私たち自身のこだわりに気づかせてくれ、それを緩和する助けになってくれる。私たちの敵は、私たちの師となり得るのだ。 関連