事実と意見を区別する
議論の参加者がこれができていない場合、他の参加者がその人の意見を腑分けできるスキルがないと議論が成立しない
事例
意見と人格は分けて考える
よく「意見と人格は分けて考えろ」と言われますが、その人の主張が当事者性に依拠する場合、これがとても難しくなります。なぜなら、あくまで主張に対する批判であったとしても、主張が人格や経験に基づくものであれば、人格や経験そのものの否定・批判に接続されてしまうため、それ自体が攻撃や加害に見えてしまうからです。
体験と人格は分けて考えられないかもしれない
ご飯屋で、裏方からパワハラの罵声が聞こえてきたとする。聞かなければおいしいかったのに、聞くと感じるメシの味は下がる
おいしさは受け手の心理的コンディションが影響する
うまい飯は体験を含めてうまい
作家の作品とTwitterの発言
これはどうだろうか?
頭に現実の著者の言葉が気になって、作品を正当に評価できなくなるかもしれない
いきなり性的嗜好の話になりますが、「あんな著者の作品なのにマジで良い」みたいな精神的な屈服の体験は良い
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