メンヘラ
https://youtube.com/shorts/ugSNcxmftRM?si=qHk25SujUEdM7JSW
極端な例: 好きな人のと一緒に歩いていて、かわいい女の子が来ると、好きな人が視界に入れていなくても、あっちと遊びたいと思ったんだろうなと思って不機嫌になる
めんど基素.icon
https://youtu.be/k3cxUb2UNBs?si=rAW4uxPjZOy4y84T
光のメンヘラと闇のメンヘラ
https://youtu.be/zlpQbwSD3c4?si=adcYBeWGQ8nseA91
穴が空いたバケツなので水を注いでもムダ
穴を埋めるのは物理的に時間をともにすること
5歳児のお留守番トレーニングみたいなもの
謝るな。礼を言え
他責に転換されることがある
メンヘラは5W1Hの事前報告が欲しい
めんど基素.icon
強い言葉を使ってくるが、主観は一旦受けとめて反論せよ
捨てられるより先に捨てようとしてくる性質がある
この性質から全て構って欲しいだけなので字面通り受け止めるな
「絶対」「こんどこそ」は嘘
理詰めで話しても通用しないので、喧嘩中にヒスったら絶対に離れないと言いながらハグをしろ
中心の思考 「捨てられるべき」だが「捨てられたくない」
あらゆる言葉がどちらかの感情に反してしまうので言葉が通用しない
ホストのようにふるまえ
ほんとに話したくないなら喧嘩にならず物理的に関係を断ってくる
アシがつく家出はその限りではなく追ってこいという意味
寝ると世界から消えてしまうので深夜に発狂する
飯を食わせろ
空腹や睡眠欲求がわかってないケースがある
こう言うことを理解していても本人は自分で改善できない
いま思い返してみると、2010年代前半に「メンヘラ」と呼ばれていた、あるいは自称していた人たちは、病んでいるにも関わらず、底抜けに明るかった。明るいというより、ポップだった。それについては色々な観察が可能だろうが、要するに、それが当時の流行であり、「メンヘラ」たちが自らに課した流儀でもあったのだろう。自分の苦しさを他人に押し付けない、それを「コンテンツ」(これも当時はやっていた言葉だ)としてフォロワーに提供すること。面白がってもらうこと。それによって「メンヘラ」自身も、危ういところで壊れかけの自我を支えていた。 もちろん、そうした「メンヘラ」のありかたに危険がなかったわけではない。実際に何人かの有名ツイッタラーは自殺してしまったし、
そこに自らを「コンテンツ」として提供していたことの影響が皆無だったとは言えまい。だが他方、「メンヘラ」という属性を担うことによって生きやすくなった、あるいはすんでのところで自殺をとどまった、という人もいたに違いない。