プーチンのウクライナ侵攻の大義名分は非ナチ化
日本のメディアは報じていないらしい
海外は?
プーチンの脅しの「本気さ」が多くの人々に伝わっていないのではないか。
あるいは、「非ナチ化」を真正面から報じないことがプーチンの「嘘(うそ)の帝国」と批判した日欧米諸国のかかえている問題点の例証となってしまっている。
ここでは、この2点について論じたい。
プーチンの認識
ウクライナにはナチズムにかられたナショナリストが存在し、彼らがロシア系住民を排斥するだけでなく、ロシア語さえ廃絶しようとしているということになる
実際にロシア系かどうかをどう判定するの?
「NATOの主要国は、自分たちの目的を達成するために、ウクライナの極端なナショナリストやネオナチを支援している」
多分これは2014年にときのロシアに迎合的な路線のウクライナ政権が転覆したときの市民活動をアメリカが支援したと言う話が背景にあるんだと思う基素.icon
こうしたロシア人への抑圧を行っているナショナリストやネオナチをつかまえて裁くことが「非軍事化」と並ぶ重要な目的とされている。
しかしこの抑圧したナショナリストやネオナチはどこにいるのか不明 もちろん、このプーチンの主張が正しいというわけではない。だが、彼の主張に耳を傾けなければ、今回の「侵略」は決して理解できないのではなかろうか。
親ロシアだと思われていた
ヤヌコヴィッチはロシアに亡命
扇動したのがアメリカのヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補・バイデン副大統領
この記事で論じられている協定破棄の筋道が記事を読んでも理解できない
2021年2月21日に修正付の2004年憲法に復帰する特別法を採択して大統領選を実施する協定をした
その日にヤヌコヴィッチが亡命
なぜ亡命したのか?暴力で立ち向かえたはずという論旨
仄めかしではなくはっきりと書いてほしい基素.icon
なぜヤヌコヴィッチは失脚したのか
前提知識
ウクライナは1990年代からEUへの参加の機運があった
ヤヌコヴィッチ政権の支持率は10-20%と低かった
政権腐敗?
他にもありそうだけどスッと出てこない
ヤヌコヴィッチは経済不調を立て直そうとした
ロシア、EU、IMFとやり方を模索
ヤヌコヴィッチは政権に最も都合がいいロシアと手を組もうとした
EUは政敵の釈放を要求した
EU加盟で経済体制は透明方向になるので、金を都合よく使えなくなる
ロシアの方が金出してくれた
不満が爆発した
アメリカの謀略もあるらしい
ソ連崩壊後、ウクライナは数年間は汚職や経営管理の誤り、経済成長の停滞、フリヴニャの平価切り下げや公的市場からの資金調達という様々な問題を抱えていた。
2000年代には欧州連合(EU)との良好関係を築こうと模索し、実際にEUと連合協定を結ぶ協議を行なっていた。当初、ヤヌコーヴィチ大統領はこの協定に署名する意思を示したが、最終的には署名を拒否した。
ヤヌコーヴィチはリトアニアの首都ヴィリニュスで行われた東方パートナーシップ会合で、欧州連合との政治・自由貿易協定の署名を拒否...
これに起因し、2013年11月に最初の抗議活動が生じている。
ミコラ・アザロフ首相は200億ユーロ(270億米ドル)の融資・援助を必要としていた。 欧州連合は6億1000万ユーロ(8億3800万米ドル)の融資を提供する意向であった
ロシアは150億ドルの提供に加え、ガス価格の引き下げの意向を表明していた。
欧州連合は資金提供の見返りとしてウクライナに法律の改正・改革を要求している
両条件はいずれも2015年2月に予定さている大統領選挙において...自身を不利な状況に追いやる
緊縮政策は国民に反感をもたらし
政敵ティモシェンコの釈放は強力なライバルの復活を意味する
EUとの連合協定締結は、透明性の高いEU基準の制度の導入を余儀なくされ、現地では「ファミリー」と呼ばれる自身と周囲の側近たちの資産や経済利権に影響が及ぶと考えられたからである。
Wikipediaにはこの政権腐敗の論点はなかった基素.icon
が、ロシアはそれを要求していない
ロシアはウクライナに経済的な圧力をかけ、欧州連合との交渉反対のプロパガンダキャンペーンを行っている
以前からウクライナは国際通貨基金(IMF)に支援を要請していたが、融資条件は緊縮政策の導入というヤヌコーヴィチ政権にとって受け入れ難いものであった。
この背景には前述の経済難があり、EU統合はひとまず先送りして、目先の「冬を越す」ために、やむをえずロシアとの接近を図った格好だった。
しかしこれがユーロマイダンに繋がる反政府デモを引き起こした
なぜ?
そもそも、ロシアに隣接するウクライナでは、2010年から続く親ロシア色の強いヤヌコヴィッチ政権に対する野党陣営の不満が高まっており、ウクライナの将来的な欧州連合への加盟を希望する多くの市民も政権に対するフラストレーションを抱えていた。
なぜそんなにEUの希望があったの?
ウクライナのヨーロッパへの統合路線は1990年代から志向され、EUの東方拡大の動きに伴い、ウクライナも徐々にではあるが一貫して統合ならびに将来に向けた加盟への取り組みを進めてきた。
当初は「親ロシア派」とされていた第2代クチマ大統領の時でも、実際には明確に「ヨーロッパ選択」という目標を打ち出していた。...志向の度合いに程度の差こそあれ、この路線はウクライナの歴代政権が継続的に目標として掲げており、今や断定的に「親ロシア派」にされているヤヌコーヴィチ前大統領についても、今回の決断に至るまで、基本的にはこの姿勢を踏襲していたという点には留意するべきではないか。
経済的に迎合してるロシアじゃだめなの?
国民の意識としては「EUかロシアか」という争点も大事だが、それ以上に重要なのは「暴力、腐敗、独占にまみれた体制から脱し、法の支配と司法の独立が実践され、経済的にも豊かな将来」なのだ。
EUに行っても短期的に経済発展はしないと思うが基素.icon
2010年に政権の座について以降、大統領の支持率は概ね10〜20%台に落ち込み、与党地域党の支持率も同様に20%台で推移していた。これは政権の支持基盤である東部地域でも満足に支持を得られていないということを示しており、基本的に「全ウクライナ」で支持は低下していたと言って良いだろう。筆者がキエフに滞在していた昨年春から夏の時点でも休日には大規模なデモが度々開かれていた。
デモ参加の意識調査資料あり
なぜ支持率低い?
結論を端的に言うと、ヤヌコーヴィチ政権は短期的かつ自らの権力維持の為に、国家の長期的な発展への道を閉ざしたのだ。ウクライナ国民の多くの目にもその魂胆は明白であり、結果的に大きな失望と憤りをもたらした
今回の革命後、即座に釈放されたユリア・ティモシェンコ元首相については、その逮捕収監時から、国内外で釈放を訴えるキャンペーンが行われていた。
とくに欧米はこの逮捕が「政治的な動機に基づいている」として、一貫してヤヌコーヴィチ政権を批判してきた。
後述するが、この「ティモシェンコ問題」は今回のデモの契機となる決断の要因の一つとなった。
ロシアからの150億ドルのうち20億ドルの資金調達を受け入れた...
ロシア当局はウクライナ政府に対して抗議鎮圧に向けた決定的な行為を執るよう圧力をかけており、ロシアからの20億ドルの資金調達が行われた数時間後にユーロマイダンの抗議者に対する警察の攻撃が命令されている
首都キエフで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣のロシアへ亡命することになった。
新たな政権の発足(第一次ヤツェニュク政権)や2004年憲法の復活、数ヶ月以内の臨時大統領選挙の成し遂げなど多くの成果をあげており、ウクライナの社会・政治に膨大な変化をもたらした。
一方、親露派のヤヌコーヴィチ大統領の失脚はロシアの猛反発を招き、ウクライナ領のクリミア半島のロシアによる併合と親露派武装勢力によるドンバス地方に於ける戦争の勃発をはじめ、クリミア危機・ウクライナ東部紛争へとつながっていった。
2014年2月21日にヤヌコーヴィチ大統領と野党リーダーらが危機回避の文書に署名し、政権側は憲法改正、大統領選の早期実施などの譲歩を行った。しかし身の危険を感じたのか、ヤヌコーヴィチ大統領は首都キエフを離れて、東ウクライナに脱出、憲法改正法への署名を拒否した。
最高会議はこれを職務放棄と見なして大統領の失職を宣言した。代わりに議会議長のトゥルチノフ氏が、大統領代行を兼務することになった。
一方で暫定政権の発足に否定的であったロシアは、ヤヌコーヴィチ政権の崩壊をクーデターによるものと位置付け、ウクライナへの軍事介入を行なった。
アメリカ合衆国連邦政府のヌーランド国務次官補とパイエト駐ウクライナ・アメリカ特命全権大使が、ヤヌコーヴィチ政権崩壊後の新政権人事の協議をしていたとする2014年1月28日の電話会談が暴露され、ウクライナの反政府デモを主導したのはアメリカ合衆国であったとの指摘もある
ロシア側の主張はこの辺りか基素.icon
「アメリカがウクライナの親露政権を倒すように仕向けた」