フィクションは聖域であってほしい
現実世界ではある程度世代の常識というのがある。それから外れたことを言うのは「変わってるね」(訳:何いってんだお前)と言われる
関連:世代の常識の形成とトレンドの変化
Twitterでポリコレを意識してツイートを踏みとどまったこともあるし、あけすけに全てを言えるわけではない
実験的なことも言ってみたいけど、言えないこともある
一方、フィクションの中ではいくら狂っていてもよい
好きなキャラクターがいうと、説教ですら素直に受け入れられる
キャラクターの部分ではなくて好きな、が重要か?
キャラクターのほうが好きになりやすいと思うぞ
これは描く方のメンタル的にも大いによい
とはいえ、この自由度はだんだん狭まっている
国外にコンテンツを輸出する場合、国外基準で最初から作る方が良い
炭治郎の耳飾りが旭日旗と韓国の市民団体が批判。違うデザインになった
日本だとちょっとエッチぐらいが、チャイルドポルノ扱いになることもある(要出典)
https://twitter.com/michiluhome/status/1396165964463439872
カニバリズムはNG
進撃の巨人はOK(論理的に意味不明。であるなら例外規定はなんなのか?。むしろ売れる方が問題になりやすいはず。どう言う実情/論理?)
出版社の自主規制は、編集の感覚によって変わる?
https://twitter.com/michiluhome/status/1396286124222410753
https://mjwr9620.hatenablog.jp/entry/2022/05/14/131513
こう言うのを気にして作品を作らないといけない(気にしなくてもいいが、気にしないと言及される)
関連
表現の自由